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ナイトライド・ストーリー

Chapter 10

あらためて自分の文章を読み返してみると、その時々で自分自身の考え方が変わっていることを実感する。それは、私自身の成長、従業員の成長、会社組織の成長、会社を取り巻く環境の変化など、様々な要因が関係するので、変わって当然なのだが、大きく変化している。

それは、従来の考え方が間違っていた場合もあったかもしれないが、必ずしもそうではなく、その状況に応じて判断基準が変わってきたのではないか。

たとえば、以前、従業員との接し方に関して、問題点を指摘して直させるか、自主的判断に任せるべきかで悩んでいると書いたことがある。以前の私の考え方では、どちらかと言うと従業員の自主性を尊重するという方針だったが、今は、違う。悪いところは、徹底的に指摘するという方針に変更した。

その理由は、まず、従業員の成長である。従業員自身が、自分の考え方、行動に自信がない場合、正しいことを私が指摘しても、本人が思考的余裕を持ち合わせないと、私の言っていることが理解できず、自分自身の考え方と私の指摘との調整ができない結果、的確な判断ができなくなり、指摘が裏目に出る可能性が高い。

次に、私自身が、従業員の特徴と業務内容を把握することができる体制を整えたことにより、私が自信を持って問題点を指摘できるようになったからである。今まで、中間管理職に部下の管理を任せていた部分を、私自身がすべての従業員の仕事内容が把握できるよう毎日メールで日報を提出することを義務付けた。そのことによって、個々の従業員に対して適切な指摘がタイムリーにできるようになった。

これは、管理職を信頼していないということではなく、私自身の経営的判断を個々人に直接伝えることによって、より迅速かつ的確に現場が物事を判断して行動できるようにすることが目的である。どうしても、管理職のフィルターを介して指示すると、時間がかかる上に真意が伝わらないことが多い。

以前、優秀な外国人エンジニアがいると書いた。これは、私の今の価値判断基準によれば誤りである。彼らは、一匹狼であり、個としては優秀なのかもしれないが、まわりにそれと同じぐらいの害を及ぼすため、チームとして能力を発揮しないので、結論としては優秀ではなかった。スポーツ選手でも同様だが、基本的ルールを守れない人が、優秀であった試しはない。それは本人の勘違いであり、わがままが許されているとしたら、それは周りの人々がトバッチリを受けているだけだろう。

一方、今いるエンジニアは、優秀である。彼らは、目立たないが、会社の将来を真剣に考え、開発面のみならず、毎朝の掃除、安全管理、その他さまざまな面で会社に貢献している。先日、大きな台風が来た時も、彼らの的確な判断で、深夜の操業を停止し、事なきを得た。開発面では、チームワークで着実に性能を上げつつ、その他の業務も的確にこなしているにも関わらず、彼らはそれを自慢することもない。日本人は、やはり優秀な民族だと思う。

最近、私自身の報酬に関して内外から指摘されることが多くなった。私は、自分自身の偏見に満ちた分析によれば、自分に厳しいタイプの人間であり、家庭も持たず、給料も少ししか取らず、お金がないのでゴルフなどの贅沢な遊びもせず、休みも取らず、飲みに行くのも控え、食事も粗食に徹して来た。それは、贅沢したいと思わないから、そうしてきたのだ。会社が成功すること自体が、私にとって最高の歓びであり、最高の満足感を得られるため、娯楽その他に関心がなかった。

ところが、最近、まわりからそれではいけないという声をよく耳にするようになった。大変なリスクを犯して起業をしても、そんな苦労ばかりで、見返りがないのなら、やめておいた方がいいじゃないかというのだ。そんなことなら、私の後に起業家として続く人は現われませんよと言う。また、従業員にしても、いつかは、自分も社長のようになりたいと思うから頑張れるのに、その社長が、貧乏くさい格好をしていたら、やる気をなくすというのだ。

私は、この指摘を聞いてはっとした。私は、無意識のうちに、独り善がりな価値観をまわりに強要していたのだ。前章で書いた通り、私は、自分の信念が会社という媒体を通じて、社会にメッセージを伝えることで満足が得られる。しかし、私のまわりで働く人々にとってみれば、会社のトップが、ワーカホリックで、給料を取らない、休みを取らないという状況は、最悪である。彼らにも、同じことが求められてしまうからである。従業員は、やりがいのある仕事、高い給料、長い休暇、家族との楽しいひとときが夢なのだ。私は従業員が全て私と同じ価値観を共有することまで求めていない。犠牲が強制になっては意味がない。崇高な精神は長続きしない。

企業とは、そもそも金儲けが仕事なので、崇高な精神とは相容れない側面を併せ持つ。人間本来の持つ欲を無視して人は動かない。人間を知らずして経営は成り立たない。従って、社長は、その仕事に見合った報酬を、受け取るべきなのだ。法外な報酬を受け取ってはいけないが、働きに見合った報酬を受け取らないと、ただの自己満足に終わってしまう。お昼も牛丼ではなく、ちゃんとした定食をとり、従業員の分も奢るぐらいでなければならない。どんな従業員も社長の惨めな姿は見たくない。あくまでも、従業員の理想として存在しなければならない。

私は、家庭もなく、会社が私のすべてであり、会社の成長が最大の喜びだが、従業員には家族もあり、家族がおとうさんの仕事のやり甲斐よりも豊かな生活を望むことは、悪いことでも何でもなく、当然のことだ。家族の喜ぶ顔があるからこそ、多少の事があっても頑張れるのだ。

最近、製品出荷が始まり、私自身が、精神的に余裕を持てるようになったことも、考え方が変わった要因である。今までは必死だった。一日も早く製品を開発して、出荷できるところ迄たどり着きたいと。だから、他事には全く気が行かなかった。それが、最近、以前より少し精神的プレッシャーが軽くなって来たのかもしれない。

この3年で我々が成し遂げてきたことは、今から振り返れば、驚くべきことである。今まで半導体の主流だったファブレス(工場を持たない)と違い、ファブ(工場)を持つベンチャー企業で、設立後間もなくファブを立ち上げ、今まで世の中に存在しなかった全く新しい製品を世に出し、製品出荷が出来るようになったことは、世界的に見ても驚くべきスピードと言える。これぞ、日本が世界に投げかけるベンチャーの全く新しいスピード感覚と言っていいのではないか。ネットバブルの頃、"ドッグイヤー"という言葉がコンピューター産業の成長スピードの速さを表現したが、我々はそれを上回る"ラビットイヤー"とでも呼んだらいいだろうか、とてつもないスピードを実現しつつある。

既にマーケットが存在するところに参入するのではなく、今まで存在しなかった製品を世に出す場合、マーケットを自ら作り出さなければならないので、大変な労力と時間を要する。最近、紫外線LEDという言葉が新聞紙上に頻繁に載るようになり、将来、蛍光灯に変わる有力な白色照明候補として短波長紫外線LEDがノミネートされる存在になった。そんなことから当社にも白色照明関係のセミナーの講師依頼、専門技術雑誌の取材、原稿執筆依頼の声がかかるようになった。

このような我々の短波長化の動きに対応して、青色LED大手企業が我々と全く同じ短波長の分野に参入することを表明した。これは、明らかに我々に対する挑戦である。我々にとって、この事実は脅威だが、名誉なことでもある。横綱が、設立間もないベンチャー企業を一人前と認めた証である。我々は、紫外線LEDのトップランナーとして、なんとしてもこの戦いに勝たなければならない。彼らの参入は、我々が手掛ける短波長紫外線LEDの将来性と市場性の高さを証明している。彼らも、紫外線LEDのマーケットポテンシャルの大きさ気付き、この分野への参入を決意した。一方、マーケットにとっては、青色LEDの時とは異なり、競合が存在することは歓迎すべきことだろう。

私は、営業のために、猛暑、台風を問わず、足を棒にして東奔西走している毎日だが、投資家は私に更なる奇跡を期待している。その奇跡とは、急激に売上が伸びることだ。私は奇跡は間違いなく起こると確信している。ただ、それが、いつになるかはわからない。どこか1箇所で製品化が決まると、後は堰を切ったように出荷は始まる。半導体とは、そういう性質のものである。今やありふれた存在の青色LEDもそうだった。20世紀の大発明といわれた青色LEDが、現在のように信号機や携帯電話のバックライト等様々なアプリケーションに採用される迄に5年から10年近く掛かっている。従って、紫外線LEDが、様々なアプリケーションに応用されるのにも同程度の時間はかかる。但し、紫外線LEDのマーケットは、青色LEDのマーケットを大きく上回ることになる。従って、今の私の心配事は、売上がいつになったら損益分岐点に達するかということではなく、いつ、どれだけの規模の設備投資をして量産規模を拡大するかである。

平成15年9月17日

定例取締役会を終えて

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