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ナイトライド・ストーリー

Chapter 4

私はビジネスを始めるには、3つの条件が必要だと思う。

私は今回の起業を通じてそれを確信した。

ひとつは、興味深いビジネスに巡り合うのこと。2つ目は、それを実行できる環境にあること。

そして、それを実現できる能力があるのが3つ目の条件である。

そして、三つの条件が揃ったら、それをそのまま実行するだけである。

これはいいビジネスを見つけてやろうとか、絶妙のタイミングやってやろうとか意識してやることではなく、ただ、大きな流れに従って自分の責務を全うするだけのことなのである。

この3つの条件が揃うと、大なり小なり、マクガイアの70号ホームランを手にするのと同じような偶然性をもって、次から次へとメシアが現れて救済されるのである。

私は宗教家でも信心深いほうでもないが、ありのままの事実を述べると、こういう分析にならざるを得ない。

私はこのストーリーの書き出しで、すべての成功した人には「出会い」があったと書いたが、今私が経験していることは、偶然の顔をした必然である。

偶然知り合った、巡り合った、または紹介してもらった人から、救いの手が差し延べられるのである。これは、何を成し遂げようとしているかという目的がすべてを決定してしまうのである。

それは、その時代の経済・社会情勢、世相、腹の虫の居所など様々な要因に左右される。

出会いは偶然だが、結果は必然なのである。ただ、偶然の出会いがなければ結果の必然はないということである。 当社に関して言えば、インターネット関連企業への投資ブームが去り、期待された東証マザーズと大証ナスダック・ジャパン2つの新興株式市場はドン底だが、半導体関連企業の業績が飛躍的に向上し、半導体設備投資は過去最高を記録した。

これは、コンピュータに代わってiモード携帯電話が爆発的に普及したからである。

「携帯不況」(携帯電話への支出が増えて他の物の消費が減ること)なる言葉まで生んだこのブームは、次世代携帯電話が近い将来コンピュータ端末になることを予感させた。

そして、この携帯電話の液晶画面のバックライトなどに青色(青色LEDに黄色の蛍光体をコーティングして擬似白色にしている)LEDが約10個使用されているのである。

特に青色は、国内に供給する企業が徳島の日亜化学工業と豊田合成の2社に限られるため、需要が逼迫した。また、ノーベル賞候補と言われる日亜化学の元主幹研究員中村修二氏のカリフォルニア大学への転出と、これらの企業による特許紛争などが、毎日のように新聞紙上を賑わせたことが、一般の人々にもこの分野への関心を高めた。

そして、酒井教授は窒化物半導体の分野の世界的権威であるから、狭い業界内で世界に情報が伝わるのは早かった。

設立早々、マスコミと業界関係者の注目を集め、世界各地から当社に関する質問と、問い合わせが殺到した。

このような状況で、企業の最も重要な人の問題も、必然の要素が強い。酒井教授の教え子で当社に来て欲しい人材へのアプローチを始めた。

候補は数名いたが、大企業からわけのわからないベンチャー企業に転職する人は少ない。そのうちの一人は、某大手メーカーの研究所に勤務していたS(30歳)である。彼が実家の香川に里帰りするついでに会うことになった。私は、彼と会った瞬間、いいなぁと感じた。

落ち着いた真面目そうな印象の若者である。少し線は細いが、彼なら我々の強力な戦力になると思った。彼は、後に「大バクチを打った」と語ったが、以前の会社に対しては何も不満を感じていなかったが、10月から来てくれることになった。

そして、8月に待望のエンジニア第1号T(32歳)が入社した。彼は中国人でドイツ語は話せるのに日本語はほとんど話せないが、中国北京科学工業大学で固体物理学を学び、ドイツのウルツブルグ大学で博士号取得後、窒化ガリウムの研究がしたいと、酒井教授を頼って3年前ポスドクとして徳島大学にやって来た。彼は見た目は若く、鋭い目つきが聡明さを語っている。

彼は、優秀だが、まわりの学生とトラブルを抱えていた。彼は、他人が自分と同じぐらいの熱意を持って研究に取り組まないことに苛立っていた。これは優秀な人に多いことだが、人それぞれに仕事のペースとリズムがある。それを自分のペースにあわせようとするのは、難しいことである。ただ、我々が必要としているのは、型にはまらないが成長が期待できる人材である。こういう人材が活躍できない企業に発展はない。

Tは、入社後も、徳島大学において共同研究を続けている。彼の担当は、窒化ガリウムウエハのエピタキシャル成長である。これは、クリーンルームの中で、MOCVDという化合物半導体を製造する装置を使って、高温下で原料の有機金属を含むガスを反応させて薄膜を形成する作業である。

簡単に窒化ガリウムウエハの構造を説明すると、ウエハは、幾層もの薄膜で形成される。それらの薄膜は約2ミクロンの厚さで、それぞれがp型半導体とn型半導体を構成し、電子を過剰に持つn型から空孔(ホール)を持つp型への電子の移動のエネルギーの差が光として放出されるのである。いわゆる複雑なヘテロ構造になっているpn接合を作るのである。反応は原子レベルで行われるので、肉眼で見てもわからない。従って透過電子顕微鏡や様々な分析装置を使って、薄膜がどのように形成されているかを、確認しながらの地道な作業である。

徳島大学には、顕微鏡をはじめ各種分析装置がいつでも好きなだけ使える環境が整えられている。我々がこのような資源を有効に活用できるのは、本当にありがたく、素晴らしいことである。これらの装置を自前で調達していたらこの顕微鏡を一台購入しただけで資金ショートしてしまう。化合物半導体の製造は装置産業である。原子レベルでの物質特性の解明と資金力が合わさってはじめて可能になる。

窒化ガリウムは、一部の人から、「化け物」と呼ばれるが、それは今までの常識とは違った物質特性を持つからである。たとえば、通常は物質の結晶欠陥が多くなればなるほど発光効率が下がるが、窒化ガリウムは結晶欠陥がたくさんあっても光るのである。さらに不思議なのは、結晶欠陥を無くしてもよく光らないということである。従ってよく光るLEDを作るためには、結晶欠陥を意図的に制御しなければならない。青色(短波長)の光を発するという特性が、現在注目されている光学的特性だが、この他、超高周波・高出力動作トランジスタなどの材料としても有望視されている他、熱に弱いシリコンなどと違って対熱性が高く、過酷な環境での動作が可能である。また、ガリ砒素のように材料に猛毒を使わないので環境にも優しいという特徴を兼ね備える。Tは、この「化け物」を手なずけるのが仕事である。

次に、海外からの来客の一人をご紹介しよう。彼は、アメリカのノースカロライナにあるベンチャー企業の副社長で、東京なら兎に角、徳島まで来てくれるというのだから驚いた。

その会社は、我々と同じ窒化物半導体の市場化を目論むベンチャー企業である。彼が来たのは7月中旬の暑い日だった。その日午前中、徳島に到着し、翌日には発つということだった。予定より1時間以上遅れてやってきたマークは、身長2メートル10センチの大男で、私と話しながら歩いている時、建物の入口の桟に頭を強打した。マークは、全世界を飛び回り、日本にも頻繁に来ているようだった。彼は気さくな研究者タイプで、好感が持てた。ビジネススーツをビシッと着こなすタイプではなく、どちらかと言うとよれよれのジャケットを羽織って、普段はもっとラフな格好をしていると話した。彼は、世界中を飛び回って自社の技術を売り込んでいる。彼の話では、米国の窒化物半導体に関する期待と研究開発はすさまじいもので、我々も急ぐ必要があると感じさせた。

私は、彼の話を聞くことにより、世界的に窒化ガリウムの次世代半導体材料としての有望性を確認した。その後、大学の窒化物半導体研究所を見学してもらったが、彼も施設の充実ぶりに感心していた。彼は、以前に、やはり同業のベンチャーを経営していて、それらの装置を自前で揃えようとして、資金難に陥って失敗したとのことだった。私は、その夜彼を徳島の伝統的接待方法でもてなした。

次に、大部分のベンチャー企業が一番苦労する営業に関しても、酒井教授と以前から親交のある韓国の大学教授から窒化ガリウムウエハの供給依頼が来た。彼は、ベンチャーキャピタルからの出資を受けて会社を設立していた。

以前彼は、財閥系電子メーカーのエンジニアだったが、現在は、大学教授と会社経営者の二足のわらじを履く。彼は学生時代日本の大学で学んだインテリで、流暢な日本語を話し、誠実で飾らない技術者タイプで、信頼の置ける人物である。彼が、工業団地に建設中の工場で窒化ガリウムLEDの生産を始めるために、そのテストサンプルの供給を依頼してきた。供給枚数は、30枚程度であり、構造も様々だった。このころ実は我々はまだ青色LEDを供給するつもりはなく、後で触れるが紫外線LEDを供給するつもりだった。我々には、このサンプル出荷に際し、海外への輸出業務の経験がなかったので、金融機関等の助けを借りて、なんとか輸出に漕ぎ着けた。

更に韓国の財閥系メーカーからの技術開発依頼が来た。彼らは、酒井教授に青色LEDの性能向上を依頼してきた。これは、酒井教授にとっては退屈な技術開発であり、先生自身もあまり関心がないように見えた。そして、私と先生の2人で韓国へ行くことになった。

その会社に到着すると、酒井教授は来賓扱いで、歓迎の花まで用意されていて、夜になると宮廷料理で接待を受けた。そして、いつになったら仕事の話になるのかと思っていると、酒のまわったもうお開きというタイミングで会議となった。これは、おもしろい習慣だと思ったが、いやと言えない状況に追い込んでから会議とは、なかなかやるものである。ただ、酔っ払った状態での合意が、法的効力を持つかどうかは疑問である。そして、開発を当社で受けることがその場でまとまった。細かい条件は、後から詰めることになった。

この韓国行きで、韓国のLEDにかけるすさまじい開発競争を目の当たりにした。国を挙げて光産業の育成に取り組む姿勢は、脅威と映った。彼らには、安い土地、建設費、労働力、エネルギー代と国からの補助、優遇税制というように、我々がまともには戦えないほど恵まれている。そして何より彼らの貪欲さが日本にはもうない。

日本では、10年以上も前から産業空洞化が叫ばれていながら、なぜそれを食い止める政策が全く施されて来なかったのか。我々は、安い製品を大量に供給するという分野では彼らに勝てない。大量に供給するためには莫大な設備投資が行われ、雇用を創出するなど、様々な分野が恩恵を被る。ところが今の日本の環境では技術力を売るしかない。

日本の将来を考えた場合、このままで良いはずはない。これには、日本の失業がまだ深刻でないことがあると思う。好景気のアメリカでさえ、ワーカーの年収は200~300万円程度である。従っていつまでも借金財政を続けて上げ底をしていると、製造業が生き残れなくなって、致命的になる。失業者が溢れれば、安い人件費で日本でも製造業が成り立つようになると思うのだが、間違いだろうか。このように、われわれは世界の大きな流れに揉まれているうちに第2ステージへ突入するのである。

10月末、シリーズB増資を実施することを決定した。まだ、6月のシリーズA増資で調達した約1億円が残っているが、増資をすることになった理由は2つあった。まず一つは、紫外線LEDの開発の成功である。紫外線のLEDは、波長が350ナノメートルと青色LEDが450ナノメートルであるのに対して、更に短い波長の光を発する。これは、赤色に対する青色を作ったのと同じくらいのインパクトがある。実際にこの波長ではどの企業も開発に成功していない。その理由は、材料が青色LEDと異なるからである。この開発に大きく貢献したのが、Tである。

紫外線の応用範囲は、医療、工業、環境など様々に広がっているが、意外と知られていないのが、蛍光灯である。蛍光灯は、蛍光体に紫外線を当てて白く光らせているのである。したがって、紫外線LEDは将来的に照明として大きな市場が期待できるが、現在の出力では、まだ照明用に使うには弱すぎる。従って、当初は、大学、研究機関向けにサンプル出荷し、アプリケーション開発を各社と共同で行い、出力は小さいが、コンパクトな光源を必要とする用途の開発を行う必要がある。

そしてもう一つは、サンプル出荷した韓国の企業と青色LED用窒化ガリウムウエハの供給契約を締結したことであった。供給契約を結ぶのに、なぜ我々のような実績のない企業に話を持ち掛けるのかと尋ねた。なぜなら、現在、台湾、韓国には、既に青色LED用窒化ガリウムウエハを供給する会社がいくつもできているからである。すると、社長は、日本の企業と契約を結ぶと国からの補助が受け易くなるのと、特許の問題があるからとのことだった。

したがって、値段だけで考えれば当社と取引きする必然性はないが、彼は合法的にビジネスをしたいと考えていた。

という訳で、彼らは、当社のような実績も、工場も持たない企業と供給契約を結んだ。

以上の2つの理由から、これらの製品を安定供給するための設備を用意する資金を調達することになった。

それで、設備投資に最低いくら必要かを試算したところ、工場はどこかの空き工場を探すということで、最低約5億円の資金が必要となった。

我々の製造装置は独自設計なのでコストと納期の点で有利である。

通常MOCVDという製造装置を購入する場合、発注から納期まで早くて半年、遅いと1年以上待たなければならない。それも当社のように取引き実績のない企業なら尚更である。

それを、納期たった4ヶ月、立ち上がり迄半年というとんでもないスケジュールを実現するのは不可能である。

しかも、それらの装置は、競合他社と同じなので、出来上がる製品の性能も競合を上回ることはない。

我々のMOCVDは徳島大学の窒化物半導体研究所で何年も使用して実績のあるものを更に改良して量産型にした言うなれば「酒井スペシャル」というものである。

従って、信頼性と量産性を兼ね備えた装置で、当然製造方法も競合とは違う。

我々の強みは、このように装置の設計、製作からすべて自力でできることである。

折り良く、ベンチャーキャピタリストの村口氏の一行が徳島へ「子供起業キャンプ」という子供向け起業体験の実施に来るということだった。

ベンチャーキャピタルはただ企業に投資するだけでなく、このようなボランティア活動もおこなっているのである。

私は村口氏とスケジュール調整をしたが、私は、ちょうど逆に東京へ出張するところだったので徳島空港で相談にのってもらうことになった。

降り立ったところをつかまえて、空港下の喫茶店で10分程の短い交渉だったが、じゃあ2億円を引き受けましょうということで裏を取ることもなくその場であっさり増資を引き受けてくれた。

それも1株500万円で引受けるというのだ。

これには本当に驚いた。

通常ベンチャーキャピタルは、公開時の株価を冷静に判断して、安く買い叩こうとするものである。インターネットバブルが弾けて以降、現在のように株式公開する企業の株価が公募割れするような事態にいたってなおさらだった。

ところが、村口氏は、つい4ヶ月前実施したシリーズA増資の更に10倍の株価で引受けるというのである。

せいぜい5倍程度かなと思っていた私にとっては実に都合のよい話で、5億円調達するのに100株の新株を発行するだけで、私の持ち株比率も半分を軽く超えている。

今回株式を取得するのはすべてベンチャーキャピタルなので安定株主にはならない。

彼らは公開後すみやかに売却するので、株価対策上もあまりベンチャーキャピタルの比率を高くしたくない。だから、この株価で資金調達できれば好都合だった。

増資の引き受け先募集には、パブリシティを利用した。

狙い通りマスコミ各紙が当社の増資を取り上げ、ベンチャーキャピタル各社が資料を希望した。

そして、10月末徳島ニュービジネス協議会時代に私が苦労して開催した「徳島ビジネスチャレンジメッセ」(この年から「徳島ニュービジネスメッセ」と「県工業展」が一緒になって名称が変わった)の開催時期と今回の増資募集の時期が一致したため、その会場で投資説明を行なうことになった。

自分が作った展示会で今度は自分の会社が出展してプレゼンテーションするというのは不思議な感覚だった。

説明会にはたくさんのベンチャーキャピタルが集まり、当社への関心の高さが伺え、5億円を調達するのも簡単なことのように思われた。

この増資と並行して、海外、国内LEDメーカーからの問い合わせなど、忙しく毎日が過ぎていった。

したがって、募集から増資が完了するまでの2ヶ月間は、あっという間だった。最初、日興キャピタルが、話を聞かせて欲しいとアポイントをとってきた。

それで、本社へ挨拶に行ったところいきなり副社長と面会することになった。その後元化合物半導体のエンジニアで技術に関して詳しいアナリストが徳島へ技術のことなどを調査に来て、要求された資料をメールでやりとりして、1ヶ月ほどで出資の正式決定が出た。

このようにして5億円は、簡単に集まるかなと思ったのは甘かった。

経済環境は悪化の一途をたどり、米国ナスダックの下落に合わせて日経平均株価はどんどん下がり1万4000円を割って最安値を更新していた。

株式公開を延期する企業がたくさん出てきた。

こんな時期ではあったが、我々は、自分達のいる窒化ガリウム半導体の分野の市場性と成長性に疑いを持たなかった。

今我々がこの設備投資を成功させなければ、手後れになる。

それも、今日本が最先端にいる数少ない化合物半導体分野において、米国、台湾、韓国の猛追にあっている。

一刻の猶予も許されない。

そして、そこにおいて我々の果たすべき役割の大きさを充分認識していた。

光るという機能以外の超高周波半導体としての技術開発など、この「化け物」の様々な可能性を世界に先駆けて切り拓いていかなければならない。

そのためにも、今回の投資はなんとしてでも実施しなければならない。

増資で調達できない場合は、借入れをしてでも投資をしなければならないと、借入れの可能性も検討していた。

そして、11月20日の当初の応募締め切りの直前の金曜日、このままでは集めきれないと判断した私は、募集価格の引き下げを決定した。また、増資金額も5億円では足りないことがわかって来た。その大きな原因は、工場用地である。原料にガスなどの火気危険物を扱う関係上、通常の倉庫、工場は、使用できない。徳島じゅうの不動産会社をあたり、土日も物件探しをしたが、結局どこも使用できなかった。それで、工業団地に新規に土地を取得せざるを得なかった。

実際に工業団地を取得するとなると3000坪の土地を5億円で取得しなければならないが、我々は、団地の開発を行った東洋建設の取り計らいで500坪だけ取得させてもらった。

それと、事務所を兼ねた建屋の合計が約2億円である。また、その他製造装置の他、クリーンルーム、排ガス、排水装置等を見積もって行くと7.5億円は必要なのである。そこで、募集株価を当初の半分の250万円にし、300株、7.5億円の募集に条件変更を行ない、12月10日まで応募期間も延長した。また、このままでは集まらないかもしれないと判断し、更に何社かのベンチャーキャピタルを日興キャピタルから紹介してもらった。紹介を受けたところは、どこも日本を代表する企業ばかりだった。中でも大手損害保険会社は、現場サイドへの権限委譲が進んでいるらしく、担当者の返事通り大口の投資を決定した。

なぜ、こんな書きかたをするかと言うと、今まで断ってきたベンチャーキャピタルの多くが、担当者は我々を大変高く評価してなんとか出資したいと言っていたのに、社内の稟議が通らないと断って来たところがほとんどだったからである。

また、商社の丸紅が、新聞の片隅に載った社名だけを頼りに連絡を取ってきた。話によると、中村修二氏の講演を聞いて窒化ガリウムに関心を持ったようだった。丸紅は、ガリ砒素半導体や様々な半導体材料の取り扱いをしていたので化合物半導体にも詳しかったが、彼ら自身も驚くほどの短い稟議期間で当社への投資を決定した。それから、松田修一先生に増資の相談に行った時、偶然後の約束で居合わせた日本ベンチャーキャピタルの計5社が合計6.5億円の増資を引受けた。

今回の増資に関して興味深かったのは、結局投資決定を下した企業は、アナリストが窒化ガリウムに関して専門的知識を持って、冷静に当社の技術力を分析できたところだけだった。分析し切れなかった企業には、ちょうど増資期間中に新聞紙上を賑わせた日亜化学工業と豊田合成、それに米国CREE社間の特許係争問題ばかりに目が行ってしまったのだと思う。敢えて言わせてもらえば、我々の問題点は顕在化しているということである。

たとえば、すべてのインターネット関連の企業は、ビジネスモデル特許の問題もあり、いつ突然知らなかった特許が成立していたということで法外なライセンス料を請求されるかわからない。我々が避けるべき道は目の前にはっきり見えていて、それを避けて通れば良いのであり、見えない地雷が突然爆発する道と、どちらを選択するかという関係と同じである。

また、当社に実績がないことも理由だと思うが、設立半年といえども、酒井教授が20年以上も研究を続け、その集大成として存在する窒化物半導体研究所は、値段をつけられないほどの価値を持っている。

そして、大学と当社の関係を彼らは評価できなかったのだと思うが、当社は、従来の産学連携の常識を打ち破った新しい姿の実現を目指しており、技術の事業化、すなわち成功こそが最終ゴールであり、その技術が大学のものか企業のものかなどと言う議論は成功した後に話し合えば良いことなのである。従って、徳島大学という国立大学が我々に許容しているスタンスも今までの常識では判断できないのだ。更に、増資期間がなぜこんなに短いのかと何回も質問を受けたが、シリーズA増資で一般の方々からの募集期間2日間、シリーズBの募集期間1ヶ月は、私は短いと思っていない。ベンチャー企業はスピードがすべてある。1秒後の1円はもう1円の価値ではないのである。

そういう意味からも、今回こんなに短い期間で我々を分析し、決済まで至った企業は、間違いなく優良企業であるし、将来性がある。今回の出資企業の顔ぶれを見れば、だれもが納得するだろう。

このように、1ヶ月で終了する予定の増資に2ヶ月を要し、当初5億円の予定が7.5億円に増額修正になり、最終的に海外の投資家の決済が間に合わなかったこともあり、取り敢えず6.5億円で、12月25日で締め切り、追加があれば翌2月を目途に再度増資受けるということで完了した。

今回の増資は、日本経済が最悪の環境にもかかわらず、多くの勇敢な人々の支援によって成し遂げることができた。私は、この世には、サンタクロースが本当にいると信じている。

私は、西暦2000年12月25日、20世紀最後のクリスマスに最高のクリスマスプレゼントを手にすることができた。

平成12年12月25日


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