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ナイトライド・ストーリー

Chapter 20

前章で(社)ニュービジネス協議会の歴代会長のことに触れさせていただいたが、偶然にも、ユニチャームの高原慶一朗会長から本を贈っていただいた。以前にも、「できる人ほど失敗する」という本を贈っていただいて恐縮したが、今回は、「理屈はいつも死んでいる」(サンマーク出版)という題名の本を贈っていただいた。

私のような者に、このようにしていただけることを本当にありがたく思うとともに、その気配りの細やかさに驚かされる。私のように、7年前、数回お目にかかった程度の面識しかない者にまで、このような気配りのできる方というのは、一体どんな方だろう。かえって自分の、器の小ささ、余裕のなさを、痛感する。

本に書かれている内容は、正に「真理」であり、皆さんには、是非、本を買って読んでいただければと思うが、経営者に限らず管理職から新入社員に至るまで、日々役に立つ心得が、びっしりと詰まっている。重要なところに線を引くと、ほとんどの行に線を引かなければならないほど中身が濃い。この本を読むと、今なお、経営の最前線で戦っておられる高原会長の凄みを感じずにはいられない。新製品開発の裏には、氏の経験と勘に基づく緻密な計算があることが理解できる。理屈ではない生身の体験から導かれた真理が書かれている。「理屈はいつも死んでいる」というくだりは、ほんの一部に過ぎない。私には、それら一語一句が素直に受け入れられた。


優れたリーダーに求められる資質というのは共通する。強い正義感、情熱、勇気、物事の本質を見抜く洞察力。そして、常識にとらわれない物事の見方。ある経営者が、武士道を学校で教えたらと提案されていたが、良い考えだと思う。

数年前、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」が上映され、日本でも大ヒットした。ヒットした理由は、多くの人々が、武士の潔い生き様を見て、感動したからだろう。日本人は、外国人から見ると神秘的に映る。この映画の脚本、監督エドワード・ズウィックはアメリカ人で、日本の熱心な研究家であり、日本人よりも日本人に詳しい。怪談(KWAIDAN)の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)もそうだが、その国の文化を外国人の方が深く理解していることはよくある。イタリアを代表する名門カーデザイン会社ピニンファリーナ社のチーフ・デザイナーは、日本人(奥山清行氏)である。

私は、海外の経営者の方々とよくお会いするが、日本人であることで得をすることがある。お辞儀や居ずまいといった何気ない所作で、信頼できる相手であると印象付けることができるのである。お辞儀の姿は、相手に礼を示すかたちであり、また、背筋を伸ばした凛とした姿勢は、はた目にも美しい。これは、日本の武士道が世界に浸透しているお陰であり、大袈裟に言えば、主君に対する裏切りは死を持って償う(HARAKIRI)という武士の忠誠心とダブるのだろう。立派な国際人になるためには、自国の歴史と文化に自信と誇りを持っていなければならない。一般的に、このようなことは学校で教えられることではなく、本を読んだり、日常体験して、自らの積極的意志によって身に付けるものだ。

私の経験でも、学校は友達が沢山いて、遊ぶところ。勉強は家ですると割り切っていた。だとすれば、学校では、他人との接し方(人間関係)や人として最低限知っておくべきことを学べばよい。クラブ活動で、汗を流し、いじめや嫌がらせといった理不尽な経験を一杯すればいい。スポーツの世界では、やじを飛ばしたり、相手の嫌がることをわざとやって、挑発するなんてことは、プレーのうちだ。それをいじめとは言わない。腹いせに先輩から無意味な特訓を受けることもある。

しかし、当時は、理不尽と思われたことが、後に感謝すべきことだったことはよくある。強く生きることを学んで欲しい。最近の自殺やいじめ問題に過剰に反応してはいけない。世の中は、善意と悪意の両方に満ちている。ヘレンケラーのように三重苦を乗り越えて歴史に名を残した人もいる。人間は、それぞれの宿命を背負って生まれる。その宿命が、とても耐えられない厳しいものである場合もある。しかし、その宿命は、その本人が乗り越えなければ、次のステージに進めない。自殺という方法で逃げると、更に厳しい試練となって来世で返って来る。今世で真摯に立ち向かうしかない。

成功した経営者で、子供の頃、不遇な経験をした人は多い。その当時の苦労をバネに努力したからこそ今があるのだ。いじめ、嫌がらせのない学校にするのなら、学校なんかいらない。人の口には戸を建てられないと言うが、他人は、悪い場合は兎も角、良ければ良いなりに嫉妬心から悪く言うものであり、そんなことを一々気にしないことである。大人になるということは、そういうことに耐えることである。

従って、学校では、成績、運動、芸術的才能の優劣、家庭環境の良し悪し等で、むしろ個人差があることを大いに認識させることが必要と思う。自分の置かれた立場を客観的、冷静に見つめさせる。現状がいやなら、それを自らの力で変えるために何をするべきかを考える。家が貧しくても、勉強では負けない。勉強は駄目でも、運動では負けないといった反骨精神を養う。

私の小学校の友達で、つい先日までは大豪邸で、誰もが羨むような生活をしていたのに、親の会社が倒産して、忽然と家族そろって姿を消した友人がいた。それが現実だ。いつの時代にも、いじめっ子といじめられっ子は存在するが、社会人になると、その立場が逆転することもあるという現実を教えるのが教育ではないか。幼い頃いじめられたことで、ボクサーの世界チャンピォンになった人もいる。いじめがあるから、それをなくす方策を考えるのではなく、その困難を乗り越える術を教えるのが教育だと思う。

武士道は、そのような観点からすると、いじめを少なくするためにも有効と思われるし、車の窓からゴミのポイ捨てをするようなマナーの悪い人が減るかもしれない。昔は、「他人様に迷惑をかけない」という言葉をよく耳にした。今は、自分さえ良ければいい。人間は、長く生きれば生きる程、多くの罪を犯す。

私は、太平洋戦争末期の特攻隊員の生き様を大変美しいと思う。彼らのことを、愚かな戦争の可哀相な犠牲者と見てはいけない。それは彼らに対する最大の侮辱である。彼らは、自ら志願して国の窮地を救うという崇高な精神で飛び立って行った。私利私欲のない、全く汚れのない美しい姿、美しい魂のまま果てた。これ程、美しい生き様があるだろうか。私のような者がこのような事を申し上げることも憚られるが、我々は、彼らに顔向けできる程、立派に今を生きているだろうか。特攻隊員に限らず戦争で日本の行く末を案じて亡くなった若者達に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

戦後日本の奇跡的復興は、彼らの犠牲を無駄にしないよう、日本を素晴らしい国にしようという全国民の信念が成し遂げた。ところが、豊かになると、利己主義、誤った平等観がはびこり、不愉快なことが毎日起きるような国に成り下ってしまった。これは学校の教育だけが問題なのではない。村八分といった社会的制裁がなくなったことも原因と思う。社会全体で、小さな不正行為を含めて厳しく取り締まるシステムの構築が必要だ。昔の人は、「周りの目」をやたらに気にした。何か事を成す場合、基準となったのは、「周りの目」だった。気が付いたら忠告する勇気を持とう。

説教めいた話になって恐縮だが、私は、毎日のように、従業員の言葉使い、礼儀、仕事の内容を厳しく指導している。少なくとも弊社の従業員は、社会的問題を起こさないことが経営者としての最低限の務めと考えている。最近、不愉快な事件が頻繁に起きるのは、よい兆候でもある。今までは表面化しなかった事実が明らかになってきた証拠である。これらの問題を一つ一つ丁寧に解決して行くことが、素晴らしい日本の実現に繋がる。


さて、今年も、社内に事故、病気もなく、元気に一年を終えることができたことを、皆様に感謝いたします。1年間本当にありがとうございました。来年は、いい年になるような予感がいたします。引き続き、宜しくご指導、ご鞭撻の程、お願い申し上げます。

平成18年12月28日

仕事納めにあたって

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