Chapter 22
前章にて、適切な人がバスに残ったと書いたが、皆さんから、適切な人とは、どんな人かという質問が多いので、ご参考までに、まとめておく。
誤解があってはいけないので、あらかじめ言っておくが、会社を去って行った人が、無能であったということではない。彼らには、高い学力と立派な経歴があったし、何処へ行っても通用する人材だと思う。結論を述べると、彼らがバスを降りなければならなかった理由は、弊社には適合しなかったからである。
会社の実力は、社長を頂点とするピラミッド構造の強さによって決まる。このいかにももっともらしい経営の常識は真理だが、解釈が間違っている。一般的に、この真理を実現するため、未熟な経営者は、経営幹部組織、社内統治機構を構築することに腐心する。しかし、この言葉の真に意味するところは、無意識に、強固なピラミッド構造になっている企業は強いということだ。
私は、数多くの経営者を見てきたが、創業者は、例外なくワンマンだった。どんな些細な事も創業者が決める。なぜか?それは、創業者のみが知りうる苦難の道程で学んだ哲学に基づいている。
私は、10年程前、ここ十数年で売上を30倍に増やした偉大な企業、青色LEDで今や世界のトップ企業になった日亜化学工業(以下日亜)の小川信雄会長(当時)に、社員採用の判断基準を伺った。すると、「始めは、裏山で炭を焼いていた人達を雇った。教育して、長年やっていれば一人前になる。うちの会社は、高学歴の学生は採用しない。高学歴の人達は、テーマを与えると、それができない理由を、論理的に見事に説明する。やる前から、できないと言っている人に仕事はできない」とユーモアを交えて答えられた。意外と思えるこの回答は、大変示唆に富んでいる。今時、どこの大企業も、高学歴の学生を採用しようと必死だが、実際、日亜の飛躍的発展は、高学歴の社員が成し遂げたのではない。
この事実は、J.C.コリンズ著のビジョナリー・カンパニー2にも同様の記述がある。この本は、本題が、「GOOD TO GREAT」で、飛躍的成長を遂げた偉大な(GREAT)企業の根本的な分析を行い、そこそこ高い評価を受けて来た(GOOD)企業は、マスコミ受けが良かったに過ぎず、長期にわたって発展した企業は、目立たない場合が多いと指摘している。また、偉大な企業への飛躍に、カリスマ経営者や、派手な式典、計画、制度、更には高額の役員報酬、給与も必要ないと記述している。
この本の中で、飛躍の最重要要件と指摘しているのが、「適切な人をバスに乗せる」ということである。面白いことに、行き先を決めてからバスに乗せる人を決めるのではなく、バスに乗った人が勝手に行き先を決める。決めるというより、自ずと決まる。しかも時流に乗ったビジネスである必要もないと。つまり、適切な人は、誰に指示されなくても、与えられた環境において自分の役割を理解し、最大限その実現に努力するということである。この逆説的なところも、私は大変気に入っているし、見事に当てはまる。この続きは、本を買って読まれることをお薦めする。
私がバスを降りた社員に感じたことは、私の真理と彼らの真理の間に大きな隔たりがあるということだ。彼らにとっては、どうでもいいような事が、私には、重要だと認識された。部下の躾、言葉使い、勤務態度等、指導すべき役割を彼らは全く認識していないようだった。また、敵と正面から戦うことを避けているようで、戦う前から、諦めていた。戦場に行かずして、敵と戦えるだろうか。営業であれば、取引先。エンジニアであればクリーンルームが戦場だ。
私の失敗の原因は、一言で言えば焦りだ。会社の実態が伴わないから、格好だけ整えようというチグハグをしてしまった。言うなれば、粉飾組織だ。投資家を納得させるためでもあったが、(実際、取締役会毎に、役員構成に関して厳しい指摘を受けていた)経営幹部は、企業統治のために必要性が生じれば揃えればよいのであって、格好だけ整えても無意味だ。だから、彼らに責任はない。すべて私の責任である。私が、現段階では、そのような経営幹部はいらないと、拒絶するべきだった。だが、残念ながら、私は、当時、投資家を論破できる程、経験を積んでいなかったし、私自身も、彼らが飛躍的に業績を改善してくれると期待していた。
また、大企業で要求される能力と、ベンチャー企業で要求される能力は、明らかに異なる。わかり易く言えば、動物園のサルと野生のサルの違いである。動物園のサルは、時間になれば、餌がもらえるが、野生のサルは、どこかで餌を獲って来なければならない。ベンチャーでは、餌を獲って来ることが重要であり、芸ができても評価に値しない。ここに勘違いがある。彼らは、コンピュータを駆使し、流暢な英語を話し、また、プレゼン資料をまとめる技術には長けていた。しかし、獲物を射止める術を知らなかった。
ベンチャー企業は、誰も足を踏み入れたことのないジャングルでのサバイバルゲームであり、電気も、通信手段もない。手にはナイフ1本という状況で、どうやって生き残るかを試される。彼らは、そんな環境で戦うには、獲物を獲るためのマシンガンと調理用の電子レンジが必要だと主張し、自分たちで、落とし穴や、弓矢を作ったり、火を起こそうとしなかった。机上の理論を重視し、営業や現場へ出歩くよりも、やたらと会議に時間を費やす。そこから導き出される結論は、敵をやっつけるには、更に高性能な1秒間に10発弾が発射できるマシンガンが必要だと。そして、それを認めない社長は馬鹿で経営能力がないので、辞めさせようと結論付けた。
創業者が、一度追い出されて、またカムバックする例は、アップルのスティーブ=ジョブズしかり、枚挙に暇がない。これらは、一時的な損益悪化によって、創業者が、論理はもっともらしいが、真理を知らない似非幹部に裏切られ、追放の憂き目に会うが、結局、本当の救世主たり得るのは、創業者しかないということを表している。織田信長、古代ローマ帝国のシーザー、さらにはキリストでさえ、裏切られたのだから、私のような未熟者が裏切られるのは当然だが、裏切りは組織における永遠のテーマと言えるだろう。間違いなく、裏切られる側にも責任があるので、私は、裏切りを否定するつもりはない。キリストも、裏切りによって十字架に架けられ神になった。裏切りは、しかるべき重要な意味を持っている。弊社で言えば、不適切な人がバスを降りるきっかけになった。
私が採用したのだから、すべては私の不徳の致すところだが、社内の事情がわからない株主にとって、彼らの存在が頼もしく思えたことは確かである。ベンチャーキャピタルの投資条件の中でも、経営チームの重要性を指摘しているので、経営者とそれをサポートする経営幹部の役割は大事だ。しかし、アーリーステージで、それを期待することは、頭でっかちな管理組織を作って誤った経営判断を生む可能性が高い。彼らは、大企業の中では、有能だが、ジャングルでは、戦えない。
それでは、ジャングルで生き残れる社員の資質は何か?まず、謙虚であること。謙虚という言葉は、奥の深い言葉であり、その前提として、個人の能力が高くなければならない。無能な人に謙虚という表現があてはまらないことからわかる通り、高い能力がありながら、それを声高に主張することもなく、黙々と仕事をこなす人である。ただ、彼らは、最初から知識、能力を身に付けていた訳ではない。会社に入るまでは、全くの素人だった。それが、目立たないが、いつの間にか、そのような高い能力を身に付けていたという感じなのだ。何事にも控えめで、自信がないのかというと、そうではなく、与えられた使命は、徹底的に果たすという強い信念を持つ。このような人に共通する資質として、争い事を好まない。できるだけ争い事を避けて、自分の事だけに集中するという特質を持っている。
彼らは、無い無い尽くしと言ってもいいベンチャー企業の厳しい環境の中で、文句も言わず最大限の努力をする人達だ。
未熟な経営者は、スーパーマン幻想を抱いていることが多い。優秀な社員がどこかにいて、そのような社員を獲得すれば、劇的に業績がよくなると。実際には、そんな都合のいい社員が、いるはずもなく、いたとしても巡り会うことはない。
偉大な企業の成長は、そこにいる人の成長に比例し、最初は僅かだが着実なもので、目立たないが、それを10年後に振り返ってみると、目覚しい成長を遂げているというものだ。それを、無理やり引っ張ったり、成長促進剤を与えて伸ばそうとしても、すぐ反動が出て縮んでしまう。
我々がこの7年間に成し遂げて来たことは無二の価値があると自負する。7年間で、じっくりと吟味して適切な人をバスに残すことができたし、その根拠となる哲学を構築することができた。今期も残すところ2日。最後の追い込みに全社を挙げて取り組んでいる彼らの必死な姿を見ることができるだけでも、私には、この7年間の苦労が、些細なことだったように思える。
平成19年3月28
バスに残った適切な人