Chapter 25
Chapter23において、前期(第7期)決算が創業以来初の黒字見込みとご報告させていただいた。ご報告通り経常黒字は達成できたが、保有する韓国の下請け企業の株式評価を切り下げたため残念ながら純損益は赤字という結果に終わった。株主総会において、株主の皆様には、詳細をご説明させていただくが、誠に申し訳なく、冒頭にてお詫び申し上げる。同有価証券の評価には議論があり、そこまでしなくてもという意見もあったが、今後、上場等を検討する場合にも同様の問題が発生する可能性があるとの判断で、敢えて前期に特別損失として処理した。今後、評価が元に戻れば特別利益になるということで、ご理解いただければと思う。
さて、連日の新聞は、介護事業の大手コムスン事件で持ちきりだが、やっぱりという印象である。平成10年秋、折口雅博CEO(当時社長)を、私が事務局長をしていた協議会で主催する徳島ニュービジネスメッセへ招いて90分講演をしてもらった。講演内容は、幼少、防衛大学校時代の苦労話とディスコの成功話だった。それは、まだ、グッドウィルが上場する前年であり、この会社が本当に上場できるのかなというのが正直な印象だった。
私は、六本木交差点近くの雑居ビルにあった本社を訪れ、1時間程、折口社長と話をさせていただいた。年齢的には私と同年代で、それ程の強い印象はなく、第一印象で私とは人種が違うと感じた。その違いを論理的に説明するのは難しいが直感的にそう感じた。
グッドウィルの当時のメインの事業内容は、展示会等で軽作業をする人員(職人ではなく、荷物運びや掃除)の手配という内容であり、私はイベントプランナーなので、その業界のことはよく理解していたので、そのような利幅の薄いビジネスが成り立つのかなという意味で興味を持った。
そして、介護事業を手掛けていたコムスンという赤字会社を買収した話を聞き、尚更、よりによってなぜ介護なのかと思った。なぜなら、介護事業は、儲かりにくいビジネスだからだ。しかし、介護保険制度が導入されることによる行政の支援を見込んでの進出ということは明白だった。私は、これからの企業経営は、国の財政負担に頼るべきではないという信念があるので、国を当てにしたビジネスモデルはうまく行かないだろうと思った。
そもそも、国の財政が既に危機的状況にあった2000年当時に介護制度が導入された経緯に疑問を感じる。従来の社会保障負担に追加で7兆4千億円に膨れ上がった介護保険費用を誰が負担するのか?その費用は、赤字国債の発行で賄われているが、その借金を少子化の進む子供達がどうやって払うのか?今回のコムスン事件は、未熟な経営者が率いるベンチャー企業の暴走と簡単に片付けるわけには行かない。日本社会全体が抱える政治、行政機構を含む社会システム全体を見直すきっかけにすべきだ。
私は、コムスンを一方的に非難しているのではない。介護という誰も率先してやりたくないビジネスを、TVコマーシャル等で明るく、やりがいのある仕事へとイメージを変えた功績は大きい。介護の現場は、極めて劣悪な労働環境であることは想像できる。だからこそ、そこで働く人々の労働条件は、改善する必要がある。しかし、今後、更に高齢化が進展する中、高齢者一人一人に手厚く介護し、更にヘルパーの労働条件を上げることは難しい。じゃあ、どうすればよいか。介護保険を身の丈にあった制度に見直すことである。40歳以上の国民から徴収した費用を限度とする支給に支出を抑えることである。
この10年間で、7兆4千億円に膨れ上がった事実を何%の国民が理解していたか。私も今回の事件をきっかけに知ったが、事件は、兎に角、その額の巨大さに怒りを感じる。7兆4千億円の金利2%としても年間1千5百億円になる。世界企業トヨタが納める税金でさえ、6千億円であり、毎年7兆4千億円を賄うには、トヨタが12社あっても足りない。社会保障費は、厚労省の試算では、20年後までに207兆円に膨らむと言う。誰が考えても、この金額を払えないことが理解できる。
弊社は、国からの研究開発補助金に頼らない経営をしてきた。なぜなら、そのようなお金は、結局、国民につけが回ってくるので、日本全体で見れば高いコストになるからだ。だから、なるべく使わないよう努力し、前期初めて使うにあたっても、1円、1銭無駄のないよう、大事に使わせてもらい、大きな成果を上げた。
ところが、今回のような事件を聞くと、金額の巨大さと、事件後の往生際の悪さ等、怒りを通り越して呆れ返るばかりだ。国からお金を騙し取り、お年寄りからピン跳ねした金で立派なオフィスを構え、ビジネスジェットに乗って楽しいだろうか。介護の現場に経営トップが行って、現場の問題点を把握しているだろうか。企業だけではなく、そのような企業に何年にもわたって膨大な資金を支給してきた行政の責任も重い。今一度、介護制度の是非を真剣に議論すべきである。
従来、家庭内、若しくはボランティアによって、なんとか切り盛りしていた介護を、強制徴収によって国が運営するという流れは、小さな政府を目指す近代国家の流れに逆行する。それが、ひいては核家族化の加速、親子の絆の希薄化に拍車を掛けている。両親は、子供が責任を持って面倒を見る。そして、お子さんのいない夫婦は、任意保険で備える。病気、会社の倒産等でそれができない身寄りのない人は、仕方ないから国が負担するというのが原則ではないだろうか。それを、国がやるということになれば、保険徴収、支給といった介護現場に行かない役人も増え、役人の天下り先になる団体、ましてや、今回のような不正があると、監視機関の設置といった余計なコストが次々と発生し、ただでさえ足りない予算が、お金を本当に必要とする介護現場に回らないという馬鹿げたことになる。
私は、前章にて、国が将来必要とする産業を育成する証券市場のあり方を提言した。そして、多くの方々から、賛同と励ましの言葉を頂戴した。私は、このような問題が発生するから、国には期待しないと書いた。全国民が、そのような強い意志を持ち、民間で解決できることは民間で解決するという強い信念を持つことが必要だ。
私は、国の予算配分に関して、強権を発動できる有識者による委員会といったものが必要だと思う。一部の心ある人が、国に負担を掛けない努力をしても、知らないところで、こんな巨額の無駄使いがなされていたら国は滅ぶ。折角、無駄な公共工事が削減されたかと思えば、別の省庁からその何百倍もの予算がばら撒かれていたら全く意味ない。今、国としてやるべき最優先課題は、財政の建て直しである。支出を抑えて、経済を活性化することだ。内需産業である介護ビジネスに借金した7兆円をばら撒いても、国は豊かにならない。
今後とも、資源のない日本は、輸出産業を育成しなければならない。中国を見たら分かるではないか。少し行き過ぎの面もあるが、産業育成のためになり振り構わぬ強権を発動し、公害問題、立ち退き、その他、人権を無視しても産業を育成しようという政府の強い意気込みを感じる。資源を持つ中国が、技術力を兼ね備えたら、太刀打ちできない。日本企業は、無駄なく鍛え上げられた筋肉質の中国企業と戦って勝負しなければならない。ここ数年の短い期間で、自動車、家電、半導体の各分野で、彼らが表舞台に現れることは明らかである。その時、日本という国は、何を武器に戦うつもりなのか。それは、言うまでもなく、ハイテクである。他社の追随を許さない最先端科学技術こそが日本の将来を救う唯一の道である。
新産業育成は、もう国の役割ではない。成熟した先進国家においては、新産業育成は、民間の役割であり、その重要な役割を担うのは、個人であり、株式市場である。それが、資本主義経済の先にある経済モデルであると確信する。目先の利益で売り買いをするという幼稚な投資家ではなく、日本の将来を見据えた、長期的視点を持った投資家の出現こそが、先端資本主義社会であると確信する。
今の大企業の好決算を景気回復と勘違いしてはいけない。これは私が、前章で指摘した歪んだ株式市場のあり方と密接に関係する。今の株式市場では、好決算の企業が評価され、株価が上昇するという傾向が顕著になっている。
ところが、実際には、好決算を出す大企業では、研究開発費が大幅に削減され、研究所を廃止するところまである。大企業で削られているのは、研究開発費だけでなく、人件費も抑えている。そして、最新鋭の製造設備に切り替えず、老朽化した設備を使用している。これは、誠に愚かな経営判断と言わざるを得ない。一時の株価を気にして、5年後、10年後の成長の芽を摘み取っている。分かりやすく言うと、デイトレーダーを喜ばせ、長期保有株主を犠牲にしている。
本来、好決算の企業の株は売りなのだ。なぜなら、折角儲けたキャッシュを国に税金として収めるということは、憲法上の国民の義務を果たしているが、株主に対する背信行為ではないか。株主としては、税金を払うなら配当として支給せよと要求すべきだし、むしろ株主の本当の利益は、5年後、10年後の成長である。悲しいかな、デイトレーダーは、株の大量誤発注だろうがなんだろうが、相手の弱みにつけ込んででも、自分さえ儲かればいい株主であり、企業の将来なんか考えていない。
このように大企業が研究開発投資を控え、ベンチャー企業にも研究開発資金が提供されない。更に、国立大学の独立行政法人化によって研究費が削減されるトリプルパンチで、日本の最先端技術研究は危機的状況にある。本来、売上と利益ではなく、研究開発費及び設備投資が、売上の何%を占めているかによって企業を評価すべきだ。
前章にて私が指摘したゼロサム経済の弊害を更に詳しく説明しよう。大企業の好決算にも関わらず、我々の生活実態が豊かにならないことが見事に説明できる。特に、地方経済の落ち込みも説明できる。
ゼロサムゲームは、パイの数は変わらないので、そのパイを誰が沢山奪うかというゲームであり、腕力が強い者が有利になる。資本主義社会においては、資本力のある者が有利になる。
たとえば、昨今、家電量販店の上場ラッシュで、上場によって得た資金で、地方進出が目覚しくなった。徳島においても量販店の出店競争が繰り広げられ、大型の郊外店舗の建設ラッシュである。地方の家電小売業は、この影響をもろに受け、何年も地元で商売をしてきた電気屋さんや地元家電チェーン店は全て姿を消した。それは家電だけに留まらない。レストラン、ドラッグストア、ビデオレンタル、靴、衣料品から、100円ショップ、居酒屋、中古車販売に至るまで、全てに当てはまる。上場による資本力にものを言わせたこれらの上場企業が、地方経済に大打撃を与えた。
東京への冨の一極集中を加速させたのは株式市場だと言っても過言ではない。上場企業の好業績は、すべて地方の中小企業、零細商店の屍の上に成り立っている。それで、結果としてそれらの量販店を利用する消費者は、恩恵を受けただろうか。そうとは言えない。店は大きく、立派になったが、肝心の商品は同じであり、値段も大差ない。店員の応対は、スマートかもしれないが、マニュアル通りで心が通わない。それでは、地方へ店舗を拡張した家電量販店はどうか?これまた、寡頭競争で売上、利益も伸びないという結果になった。
私は経営努力を怠ってきた地方の小売業者を擁護するつもりはないが、正に弱者切り捨てだ。これはゼロサムゲームの当然の帰結なのだ。買う人の数と金額は変わらず、また、売れた商品の数と金額も不変なのだ。変わったのは、売主だけ。つまり、日本全体としてのGNPは不変で、上場企業にカウントされた売上は増えた格好だ。
だからこそ、海外へ製品を輸出できる国際競争力のある企業の育成が急務と申し上げている。プラスサム経済であれば、同じ日本人同士でパイを奪い合う戦争をしなくていいし、GNPも増える。確かに、80年代の対米関係のように日本経済が強くなりすぎることも問題だが、当時のような米国だけのマーケットに頼った構図ではなく、レスター・サローが「大接戦」と指摘した日米欧プラスBRICSといった多国籍化したマーケット構造により、従来のような経済摩擦は起きにくくなっている。
戦後、リスクマネーとして企業の成長を支えた金融機関の役割も、本来の機能を失った。貸し倒れリスクを含んだ金利をとっている筈の金融機関が、我々のようなベンチャー企業への投資、融資をせず、一体、誰がリスクを取るのか。
弊社は、地元の主婦、サラリーマン、企業経営者49名の勇気ある出資者の皆さんから集めた6400万円の浄財を元に事業を始めた。そして、独立系のベンチャーキャピタルを中心に、14億円を紫外線発光ダイオードの開発に投入した。技術が高度になればなるほど、新しい技術を生み出すには、大きな投資と時間を必要とする。本来、リスクを取らなくてもいい個人や民間企業が大きなリスクを負って、本来リスクを負うはずの金融機関が負っていない。
我々が、このビジネスを大きく開花させるためには、更に投資と時間を必要とする。そんな中、ジャスダックにNEOというハイテクベンチャー向けの市場が開設されると聞き、その勇気にエールを送った。経済改革閣僚会議も「やる気と能力のある中小企業に対する資金供給の円滑化」を謳っている。
弊社を取り巻く環境は厳しい。だからこそ、弊社が上場できる市場環境が必要だと訴える。多くの心ある民間、個人の力で世界に名だたるハイテクベンチャーが生まれることを、世界に証明する。それも、徳島という閉鎖的風土の田舎から。
今回は、コムスン事件で感じたことを正直に述べさせていただいた。1企業の問題とはせず、美しい日本、イノベーションを実現する社会を実現するために何をすべきかを述べさせていただいた。今後とも、皆様の尚一層のご理解とご支援を賜りたいと存知ます。
平成19年6月8日
コムスン事件に感じること