Chapter 36
いよいよ2009年が始まった。世界中どこも暗いニュースばかりだが、これは、そう状態にあった数年来の反動から極端な鬱状態に陥っているだけの話なので、あまり深く考えない方が良い。資本主義が社会主義と同様に破綻したという議論まであるが、それはさすがに行き過ぎた話で、人類全てが欲を捨てて悟りの境地に達することができない以上、この不完全なイデオロギーに継ぎ接ぎをして延命して行くしかない。
人間が本来持つ欲をコントロールするのは大変難しい。正月休みにこの度の金融危機の原因を指摘する本を数冊読んだが、一言で言えば「超強欲」が原因であり、勤勉さを失った米国が(大統領をボスとした詐欺師集団と言っても過言ではないが、巧妙に役割が分担されていて、犯人を特定できない)、楽して贅沢するために犬や猫の肉をひき肉にし、それに高級牛肉のラベルを張って世界中からお金を集めた。そのお金を違法すれすれの30倍のレバレッジをかけたギャンブルで運用し、最初は儲かったけれども、流れが変わって損失が膨らみ、その損を別のギャンブルで取り戻そうとして失敗して、膨大な借金だけが残ったということらしい。あまりにも阿漕な手口なので、思い出すのもヘドが出るが、資本主義が人間の欲を前提に成り立っている以上、このような問題は常につき纏う。日本も、食品その他の偽装がマスコミを賑わせているが、程度の差こそあれ、目糞と鼻糞である。
ただ、今、真剣に考えなければならないのは、経済的な損失程度の生易しい話ではなく、その経済的損失がきっかけになって起こるかもしれない想像を絶する最悪のシナリオである。そうならないようにするためには、民族、国家、更には宗教を超越した人類共通の倫理観を取り戻す必要がある。歴史的にも、民族、宗教、領土、そしてイデオロギーで価値観を統一する取り組みは既に破綻している。今や家族という最少単位でさえ、まとめきれない程個人の価値観が分化した。それは、そもそも自由若しくは平等という言葉の解釈の誤りに起因しているのだが、我々のごく身近なところで、「気分で殺人を犯す」という、常軌を逸する事件が頻繁に起きている状況を見れば、私が意味する問題の深刻さをご理解いただけるかもしれない。近い将来、地球上のどこかで、「その日の気分で核爆弾のボタンを押す」人間が表れるかもしれない。
古代バビロニアの法典ハンムラビ法典は、「目には目を、歯には歯を」という復讐法で犯罪を抑え込もうとしたが、その約千八百年後にキリスト教が誕生し、復讐の応報を断つ教義で復讐の概念は宗教上なくなった。しかし、あまりにキリスト教が理想主義的なので、その教義は現実の社会においてはあまり守られていないように見える。今だ繰り返されるイスラエルとパレスチナの紛争はキリスト教の聖地で行われ、好戦的なブッシュ大統領がキリスト教原理主義者というから、いかにキリスト教が表面的な信仰でしかないかがわかる。元来、理想はあくまでも理想に過ぎず、殴られたら殴り返すというような古代人のルールの方が現実的に物事を捉えていた。
キリスト教が生まれて二千年以上経過した今、より現実に即した教義が必要なのかもしれない。今のままの状況が続くとすれば、近い将来に待ち受けるのは、ハルマゲドン(世界最終戦争)しかない。脅すつもりは全くないが、米国という強大な国家に誕生したブッシュ政権は、キリスト教原理主義者として忠実にハルマゲドンへ舵を切ったと思えなくもない。
新年早々、物騒なことに思いを巡らしてしまったが、現実味のあるSFとしては悪くないだろう。あり得ないことかもしれないが、あながちあり得なくもないところが悩ましい。
まあ、ここまで悲観的に考えれば今の経済危機が大したことでもなく思える。この不況も企業の経営と同じように特効薬はない。ここで焦っても決してよい結果にはならないので、何十年もかけて晩回するぐらいの長期の視点が必要だろう。
過ぎてしまったことを評論しても物事は伸展しない。今年は、マネーゲームをやめて、実態経済の重要性を認識し、人類の役に立つ製品、サービス作りを始める元年にしようではないか。 幸い弊社は、マネーゲームで世界が盛り上がっていた約9年の間、穴倉にこもって子育てに勤しんできた。もし、この子供が立派に成長すれば、救世主になってハルマゲドンから人類を救うかもしれない。そんなことを親馬鹿は真剣に考えている。
平成21年1月6日
世界大不況の新年にあたって