Chapter 48
菅新政権が発足したが、久々の庶民派首相に期待したい。このところ続いた二世首相総崩れを見ると政治能力は遺伝しないようだ。スポーツ選手は二世で活躍するケースが多いので意外な気もするが、その理由は首相の選考方法による。スポーツでは実力が全てだが、政治はそれ以外の要因が大きい。従って必ずしも優れた政治家が首相になるとは限らない。会社の経営も、三代で身上を潰すというが、自らの事務所の運営に親から高額の仕送りをしてもらうようでは国の運営は荷が重すぎる。
弊社は、小さな会社ではあるが、温室ではなく厳しい国際競争に晒される環境で戦っているので、組織運営に関しては物事がよく見える。新政権の閣僚人事を見る限り、小沢色が薄まった点に関しては少し期待を持てるが、今回も連立を組む相手を間違っているように見える。
組織というものはベクトルが同じ方向に揃わなければ力を出し切れない。船を漕ぐのに漕ぎ手のタイミングが揃わなければ船は前に進まない。ましてや、船長の意を介さず全く逆方向に漕ぐ者がいては論外だ。マニフェストの違う政党と連立を組むということであれば、事前によく話し合ってお互いが納得できる妥協点を見出しておかなければならない。鳩山政権では、金の問題以外に国民からの支持率がわずかしかない政党の論理が堂々とまかり通って支持率が一層低下した。
退陣に追い込まれた鳩山政権、勝てない岡田ジャパンに共通する問題点は何か。それはバランスを重視し過ぎていることだ。サッカーの方がわかり易いので、サッカーを例に解き明かすが、日本の選手がいくらレベルアップしたとはいえ、身体能力に大きなハンディを抱え、技術的にも世界のトップには未だ及ばない。日本のサッカーは、守りと攻め、前後左右のバランスにこだわり過ぎているので全く特徴がなく平凡な試合展開になる。同格の相手ならまだしも格上のチームと戦う場合、一か八かで一点突破できなければ勝てない。
また、日本は、論理的に戦術を練るが、実戦で想定通りの展開になることはほぼない。海外の有名選手が天才と評される所以は、技術は当然のこととしてトリッキーな動きで相手を撹乱するからだ。誰でも予想できる動きは天才に値しない。論理的に組み立てること自体は悪いことではないが天才には通用しない。兎に角、敵の裏を掻くということだけを全ての選手が念頭に置けば勝てるかもしれない。但し、岡田監督の優秀な選手イコール監督の指示を守るということだから、監督の指示に背く動きは代表から外れることを意味する。従って、本当に勝てるサッカーを目指すならば、監督と選手の選考条件を変えなければならない。日本のサッカーも政治もまだ歴史が浅いので、無理からぬところであり、今後、天才を育てる風土を気長に作らなければならない。
サッカーと政治、ビジネスを同様に解釈することに違和感を感じる方もおられるかもしれないが、勝負の世界に誤魔化しは利かない。従って、分野は違っても、そこで通用する真理は共通する。そもそも、日本の政治家が、世界の政治家と戦っているという意識を持っているかどうかは不明だが、いつ何が起きるかわからない混沌とした世界情勢において、日本が今まで通りの地位を確保できるか微妙だ。
勝敗は理屈ではない。勝つために必要なことは頭に頼り過ぎないことだ。以前、研究開発において頭でっかちなエンジニアが開発に向かない話をした。日本人は、実よりも名を取る傾向が強い。過去の功績ばかりを挙げて、この選手なら間違いないと安心する。しかし、安心では勝てない。政治もスポーツも結果が全て。勝てる人事でよい結果を出して欲しい。
平成22年6月9日
新政権誕生とサッカーW杯南ア大会を直前に控えて