Chapter 182
ウクライナの人々にとってロシアの侵攻は悲劇だが、日本人が忘れてしまった大和(ウクライナ?)魂を世界に誇示する機会を得たことは、ウクライナ史的に意味があったと言えるのかもしれない。死を恐れないウクライナ兵と国民の勇敢さは、世界中の人々の記憶に残るだろう。日本人が、ハリウッド映画で描かれる、SAMURAI、NINJA、HARAKIRIは、戦士の姿をイメージさせる。太平洋戦争での日本兵の勇敢な戦い振りは、高く評価されている。純粋にお国のためと戦った若者たちに罪はない。圧倒的な物量戦の前に成す術のない日本兵が、頭上を飛び交うマシンガンの弾を恐れず突撃、特攻する姿は、連合軍を震え上がらせた。私は、こういったことは二度とあってはならないと思う一方で、経済的にも精神的にも2流国に成り下がり、堕落しきった今の日本を見るに、太平洋に散った若者は、ある意味、幸せだったのかもしれないと思う。自分の損得ではなく、国に尽くすという高い志で果てるとは、何と美しい生き様かと。だから、私は、日本人は、世界平和のために、もっと貢献すべきと思う。彼らの尊い死が、今の我々にどれだけの学びを与えたのかは計り知れない。コロナ禍の次は戦争と、世の中は混迷の一途だが、命について考える機会が多くなった。医療の進歩で、長生きして当然の時代に、ウイルス、侵略者の前には意外に脆いことを露呈した。資本主義の発展が貧富の格差を生み、貧しい人々に受け入れ易い社会主義が台頭した。今、世界は改めて貧富格差と自由の意味を考えている。社会主義は、すべてが平等になることを理想とするため、貧富の概念がない筈だが、実際には、プーチンが世界一贅沢な暮らしをしていることから、ロシアの社会主義は、理想から大きくかけ離れていることがわかる。百万円以上もするダウンジャケットを着て侵攻を正当化しても、国民は納得しているのだろうか?これは独裁だ。それに比べれば中国習近平国家主席は、人民服なので徹底している。国民の前では、贅沢を戒めるという姿勢を率先している。ロシアと中国を比較すると、ベルリンの壁崩壊後、ロシア経済はぱっとしなかった一方で、中国は、資本主義的社会主義と言えるやり方で、急激に成長し、世界の工場として、スマホ、電気自動車、更には最先端の半導体まで製造して、貧困からは解放されたように見える。同じ社会主義国家であっても、ロシアと中国は、随分、中身が違うことがわかる。今や、物を製造するにあたって、中国なしでは立ち行かない。そして、半導体を作るには台湾が重要である。ロシアとウクライナの関係と、中国と台湾の関係では、重要度に違いがあり過ぎる。
私は、ウクライナは、自由を守る闘いの象徴と考えていたが、ふと、自由とは何かと疑問を感じた。自由を守るための死は、何を意味する?自由は、命より重要なのか?資本主義に本当の自由はあるのか?そこには、貧富格差がある。結局、欲しいものは買えない不自由がある。イデオロギーの違いは、ご都合主義の違いではないか?米国のイラク、アフガニスタン侵攻は善で、ロシアのウクライナ侵攻は悪か?冷静に見れば、狐と狸の化かし合いに過ぎない。お前は、どっちの味方なのだといった縄張り争いをやめて、世界平和が訪れる日は来るだろうか?いずれにしても、一刻も早く、戦争を終わらせなければならない。
令和4年 5月 25日
ご都合主義の違い