Chapter 5
前章では資金集めの話しをしたが、今回は、もう本社工場完成という内容である。
昨年4月13日の会社設立から1年かからなかったということで、いかに当社のスピードが早いかということがお分かりいただけると思う。
さて、資金集めと並行して工場建設と製造装置の準備を行った。通常は、資金を確保してからの作業だが、時間がないので資金確保の目途が立たないうちから進めざるを得なかった。ただ、万が一集めきれない場合は、銀行からの借り入れの目途は付けていた。
まず工場に関して、時間もないので、空き倉庫、空き工場で適当な物件がないか徳島中の不動産会社を探した。
土日も物件探しに徳島中を探しまわったが、特殊ガスを扱うため、消防法その他の法律との関係で、結局どこも使えないことがわかった。
そこで、急遽新規に建設ということで方針を変更した。新たに建設する場合もそれらの法令に適合するよう工場を設計しなければならないのは当然のことであり、水害、地震といった自然災害、近隣との関係など、様々な検討が必要になる。そして、なにより、予算との兼ね合いが重要であった。
通常の行政が開発した工業団地の場合、約3200坪の広大な敷地を一括で取得しなければならない。
これは、日本の工業団地が、大企業誘致を目的に開発されているからである。我々のようなベンチャー企業が、そんな大きな土地を取得し、使い切れるはずもなく、私有地を探さなければならなかった。しかし、私有地の場合、造成してあるところは宅地で、民家が隣接していて法律をクリアできなかった。
そんな折、県から、鳴門市に東洋建設が開発した「鳴門複合産業団地」を紹介された。
ここは、関西国際空港建設の埋め立て用土砂の採掘場で、山を削ったところを、工業団地に造成したところで、別荘地として分譲する予定もあった程環境はよい。徳島空港からのアクセスは車で10分程度、関西方面にも高速道路の鳴門インターチェンジ迄は5分ということで交通アクセスも良い。何よりも、高台にあって、目の前に広がる海と山のパノラマが最高に気に入っている。鳴門市は、渦潮で有名なリゾート地であり、美しい自然とそこで捕れる新鮮で活きのいい魚は、大変魅力である。私は、5年前徳島に来たばかりの時、鳴門市は、これから栄えると言った覚えがある。
それは、明石海峡大橋が開通して関西に近いロケーションと、美しい自然が、米国の西海岸と同様、働く環境としても最適だと思ったからである。
また、鳴門複合産業団地は、行政の分譲する融通の利かない団地と違って、3200坪すべてを取得しなくても、そのうちの500坪を、将来的にすべて取得するという条件で分譲してもらえるという、我々のようなベンチャー企業には大変ありがたい工業団地である。唯一我々の心配は、潮風による塩害である。夏は風向きが南なので心配ないが、冬場に吹きつける北風がクリーンルーム、製造装置に与える影響が心配である。
いずれにしても、鳴門という絶好の地に工場を建設することになった。当初、予算がないので、知人から、仕事がしっかりしていて、安いということで、信和建設という地元の小さな建設会社を紹介してもらい、早速平面プランを作成してもらった。建物は、鉄鋼2階建てで、1階はクリーンルーム、2階は本社事務所、建坪約300坪という小さな工場である。窒化物半導体の製造には、クリーンルームが不可欠だが、そのクリーン度はクラス1万レベルということで、通常の半導体より1~2桁レベルが低い。
設計にあたっては、将来の拡張性を考えて、建物すべてのスパンを一定にしてある。これは建築コストの低減にもなる。この最初の図面の検討から、建築許可まで約1ヶ月という短い期間であった。このさまざまな許可申請期間の短縮は、徳島県、鳴門市の協力も大きかった。
通常、建築確認申請、公害防止条例、その他高圧ガス、危険物取り扱い等、関係法令の許可、確認申請には、何ヶ月も要するが、すべてが特別の取り計らいでスムーズに進行した。日本は、先進国なので、特に安全と環境に対する配慮は厳しい。21世紀の企業には当然のことであり、これらを疎かにしていて将来はない。ただ、ガス、危険物の扱いに関して、使用量に関わらず、一律に処理方法が決められていて、これが企業の競争力を削いでいる。本当に僅かなガス、薬品の使用にも不必要に大きく高価な設備を設置しなければならない。一律ではなく、使用量に応じて、もっときめ細かい規則を策定するべきだと思う。
さて、建築着工は、12月8日となにやら因縁めいた日になった。そして、基礎を年末までに完了し、年明けから鉄骨などの上物の建築に入り、予定通り終了すれば3月末完成という性急なスケジュールで建築が始まった。
正月を挟んでいるので、特に設備の納期が心配だった。建設を担当したのは、先の地元の信和建設と団地の造成を行った東洋建設のジョイントである。もともと予算がないので地元の信和建設に頼んだのに中堅の東洋建設が加わる意味があるのかと思ったが、この組み合わせが思いの他うまく機能した。建設現場は、現場監督の良し悪しで出来上がり全く変わるものだが、我々を担当した東洋建設の現場監督は、現場が好きでたまらないといった感じの責任感の強いタイプで、決して妥協しないタイプであった。経験も豊富で、以前にクリーンルームを作ったこともあるという願ってもない監督だった。
折しも建設不況の真っ最中で、職人の手配、各種装置・設備メーカーからの資材調達も迅速に行われたというのが、この無理なスケジュールを可能にした。半導体工場というのは、電気工事一つ取っても、とてつもない設備と工事を必要とする。直接目にふれないが、クリーンルームの天井裏には空調ダクトが所狭しと這いまわっている。すべてが独自設計なので、工期短縮は、大変難しい。ところが、これらの設備の調達とその設置工事がすべて予定通り進行して行った。
毎週末現場を見に行っていたので、日に日に出来上がっていく姿を見るのは楽しかった。建築コストを抑えながら、機能面での支障が出ないようにするのは、大変な作業だった。また、様々な工事が短期間で重なるので、スペースと作業時間の取り合いを調整するのも大変である。毎週すべての業者が集まって念入りに打ち合わせを重ねた。
徳島は、日亜化学工業と徳島大学のおかげで、窒化物半導体製造のためのインフラが整っているので、全くそういう環境のないところに工場を建設するのと違い、有利であることは確かである。空調、クリーンルーム、ガス供給装置、除外装置、電気工事など様々な分野のプロフェッショナルが豊富な経験に基づいて最適な設備を設計、施工してくれる。また、天気も我々に見方した。心配した北風もほとんど吹かず、穏やかな晴天が続いた。また、完成1週間程前に、震度4程度の地震があり、地震に対する強さも確認された。この団地の地盤は、岩盤であり、基礎の穴を掘るにもひと苦労するほど硬い岩盤の上に建っている。地震があった時、脚立に載って作業していた職人は、地震に気がつかなかったと言っていた。
私が一番楽しかったのは、外観の色選びと内装クロス、床カーペットの選定である。一般的には、外観は、グレー、内装は、白というのが常識的だが、アリフレを嫌う私は、現場監督の意見を参考に、当社のコーポレートカラーであるナイトライド・バイオレット(青紫色)を選んだ。外観は、青紫がかったグレーにアクセントで搬入口を青紫色に。
そして、事務室は、うすいブルーで統一して、会議室は、青紫がかったクロスとカーペットである。
この建物の最大の特徴であるガラスの面積を大きくとったエントランスホールの吹き抜けは、2階事務室へ上がる階段がデザイン上のアクセントになっているが、壁は、金属的な質感のシルバーとゴールドのクロスの貼り分けで、黒いタイルカーペットに階段の手すりにアクセントの赤が配されている。
こうして表現すると、随分派手な印象を受けるかもしれないが、決して悪趣味でない、きれいなカラーコーディネートができたと満足している。私は、もともとイベントプロデュ-サーなので、お金をかけずに建物、内装を豪華に見せる方法を心得ている。色使いとクロス、カーペットの選び方次第で、同じコストでも全く違った見え方になる。私は外観の色も含めてこれらの色使いには、正直言って竣工式迄、来客の反応が心配だったが、皆さんに好評だった。すべてのスケジュールがギリギリに設定され、工事は竣工式の前日まで行われたが、ボンベ庫を除く本体建物は完成した。
実質3ヶ月で出来上がった鳴門本社工場の4月2日大安吉日の竣工式は、晴天に恵まれ、徳島大学、地元経済界、ベンチャーキャピタル、出資者、取引先その他60名が参加し、届いた祝電は徳島県知事他30通、お祝いの花がホール一杯に並び大変盛会だった。当初、時間もないので、内輪で簡単に済ませようと思ったが、やはり皆さんにお祝いしていただいて良かった。徳島大学川上博副学長、(社)徳島ニュービジネス協議会の植田道雄前会長他たくさんの皆さんが、年度始めの忙しい時期にも関わらず、駆けつけ、心から祝福してくれた。徳島県知事からも長文の祝電を頂戴し、地元の期待の大きさを実感した。また、私の両親も、名古屋から駆けつけ、「馬鹿息子」と言いながら喜んでくれた。社員も、今までのような仮の宿ではない自分達の巣ができて、一丸となってやる気に満ちている。そんなことで、たかがセレモニーだが、竣工式は、士気高揚の良いきっかけになった。
工場建設と並行して、製造装置のMOCVDの手配も行われた。以前書いた通り、この装置は原子レベルで物質を制御する精密装置であり、誰でも作れる代物ではない。この装置を納期たった3ヶ月で製作するというのは正気の沙汰ではないが、酒井教授の設計・手配によるこれらの高性能マシンは、竣工式の前日には予定通りクリーンルームに搬入された。
この装置は、大変高価なものであり、MOCVD1台の値段は、工場の値段とあまり変らない。この装置を4台導入する計画だったが、さすがにこの金額なので、発注数量を1台減らした。先の資金計画で、7億5千万円の調達に対して、年末の時点で6億5千万円しか調達できなかったからである。それで私は、やはり当初の資金計画通りなんとしても7億5千万円集めなければならないと考えた。そこで、昨年の12月25日の増資締め切りの時点で、投資が間に合わなかったTFP経営コンサルティングとシンガポールの投資家からの出資を受け入れることにした。ただ、昨年の増資以来、他のベンチャーキャピタルからの投資希望が多く、これらはすべて断った。確かに、資金は多ければ多いほど経営は楽になるが、不必要な資金が手元にあると無駄な支出が出て、経営効率が下がるからである。事業資金は、必要なだけあればいい。それに、他社が出資したのを見てから出資するというのは、あまりフェアとは言えないだろう。我々は、リスクを執れる投資家からの資金にしか手を出さない。それで、この2社からの返事を待ったが、シンガポールの投資家が、半導体の景気減速を理由に出資を断って来た。そんな時、既存株主から東京中小企業投資育成の紹介を受けた。それで、不足の5千万円の引受けをお願いした。
この追加増資にあたっては、既存株主、特に年末の増資で出資したベンチャーキャピタルの意見を聞くことが大事になると思い、定款変更によって本社所在地の徳島以外に東京でも株主総会が開催できるよう定款変更して、東京で臨時株主総会を開くことにした。定款変更は、総会決議事項なので、株主総会を開催しなければならない。そこですべての株主から委任状を取って決議した。その甲斐あって、すべてのベンチャーキャピタルが日興キャピタルの会議室に集まり、予想通り、追加増資に関して、活発な意見が交わされた。その内容は、「昨年末6.5億円の増資を完了している」更に「新たに開発した波長350ナノメートルの紫外線LEDの記事が、正月明け日経産業新聞の1面トップを飾った」ということで、「同じ株価ではおかしい」というものだった。この議論は、一理ある。彼らの大口出資後に投資決定をすることは、リスクが少ないからである。しかし、我々は、議論の結果、必要資金の確保を優先し、1億円の追加増資に関して賛成多数で可決し、当初の予定通り7億5千万円を調達することができ、4台目のMOCVDを遅れて発注した。
今回、株主から意見を聞くことに関しては、株主の中からも、そこまでしなくても、結論だけ報告してくれればいいという経営側にとって都合の良い意見もかなりあった。日本は、「信頼」によって成り立っている社会であり、欧米のように「疑う」ことで成り立っている社会と違う。ただ、株式公開を前提として経営をする場合、株主の意見に耳を傾けることは重要だろう。ここでの議論は、そのときの参考になる。
この追加増資に伴い、資本金が、5億円を100万円超えてしまい、企業分類では大企業の仲間入りをすることになった。ただ、従業員数は、15名であり、資本金の金額だけで大企業と分類すること自体が無意味な気がする。従業員数15名にどうして、常勤監査役を含めて監査役が3人も必要なのか。資本金20億円以上、従業員数200名以上ぐらいが大企業の目安ではないだろうか。また、今回も疑問に感じたのが、なぜ、増資した資本金に税金がかかるのかという疑問である。これは、銀行からの借入に税金がかかるのと同じ理屈であり、起業促進の意味合いからも明らかにおかしい。これらの様々な日本独特の税制を改革しなければ、ただでさえ大変な起業が増えるはずがあろうか。日本の産業を駄目にしている元凶のひとつは税制だということに、もうそろそろ気づくころだと思うが。
この間、様々な国内外の企業から、提携、共同開発その他のオファーが来た。それらをここで紹介することはできないが、この分野への関心の高さを改めて実感した。また、全国の講演会に講師として呼ばれることも多くなり、名古屋、仙台、東京と各地で講演して知名度向上に貢献している。私は、前職でも講演、パネルディスカッションの講師を依頼されることが多かったのと、自ら講演を主催していたので、聴衆のツボを心得ているつもりである。大体の場合、原稿は用意していないので、講演前の主催者とのわずかな事前の話を参考に、即興で内容を組み立てる。半導体産業新聞の主催する化合物半導体関連のセミナーでの講演の時、他の半導体大手の役員と話していて思ったことだが、公平を標榜する米国ほど、不平等な国はないということであった。これは、どういうことかと言うと、アメリカのハイテク起業は、国から莫大な研究開発補助を貰っているというのである。日本は、首相がIT産業の育成を叫んでいるのに、当社のようなITの最先端キーデバイスを製造するベンチャーへは兎に角、それらの化合物半導体をやっている大企業への補助もないようだった。一体どこにお金が使われているのか。まあ、我々は、国立大学から技術移転してもらっているので、間接的に恩恵を受けているのだが、不思議な話である。それに、現在の様なシステムでは行政の使いにくいお金を使って新技術の開発などできるはずがないと思う。研究開発というものは、そもそも不確実なことを研究・開発するのであり、予想と結果が全く違ってしまうことなどは、よくあることである。むしろ、予想通りいく方が、不思議な世界である。それを事前に計画を提出して、結果を予測して、その通り結果を出さなければお金が支給されないというのは、あまりにも現実離れしている。どうせ出すなら、出したで、勝手に使ってくれぐらいでいいと思う。そうしたら、それを管理する役人の数も労力も減らせる。その過程の評価ではなく、その成果を評価すればよい。1億円の研究開発費なら、その費用で何がわかり、今後の事業にどのように役立つのかということを評価すればよい。または、ベンチャーキャピタルのファンドと同様、将来的に回収できるシステムにしたらよいと思う。ただ、バラ撒くからその使い方を管理しなければならないのだ。戻らないものもあるかもしれないが、将来10倍、100倍になって戻るお金もあれば、使う側も慎重になるし、税金の無駄使いと言われずに済むだろう。
ということで、まだ、小さいが、我々の城が完成した。これからが我々の本当のスタート、正念場である。
平成13年4月2日大安吉日 本社工場竣工式当日