Chapter 7
ナイトライドストーリーの続編を書かなければと思いながら大変ご無沙汰してしまい、申し訳なく思っている。Chapter11になると会社が終ってしまうからではなく、(わかる人にはわかる冗談)事業が具体的になればなる程、書きにくくなるというのが実情で、当初の意図には反するけれども、仕方のないところでもあり、皆様にもご理解をいただきたい。
昨年6月のChapter6から1年以上が経過した訳だが、この1年間というのは、めまぐるしくあらゆるものが変化し、私が今まで経験した中では、最も長い1年に感じられた。歳とともに1年が短く感じられるという感覚は、この1年を振り返った場合には全く当てはまらない。多分、この状況は、当分続くと思われるが、ある意味では、充実した有意義な時間を過ごせている証であり、ありがたいことかもしれない。それは、具体的には、工場が、昨年4月に完成し、そこに導入したMOCVDという製造装置が、準備期間を終えて、製品を製造できる状況になり、その製品をお客様に売るために営業に飛び回るという、たった2行程度のことを実行するに当たって、会社を取り巻く環境が、めまぐるしく変わり、会社で働く人の気持ちも大きく変わったということである。たった2行で書き表されることが、何年にも感じられる程、色々なことが起き、あるときは失敗し、あるときはうまく行った。
当初、青色LED用ウエハを海外へ輸出することで、売上を計上し、そこで得た資金で紫外線その他の窒化ガリウム半導体の新しいアプリケーションを開発するという青写真を描いていた。ところが、我々には無縁かと思われた半導体不況は、窒化ガリウムに関しても例外ではなかった。携帯電話の需要の急激な落ち込みは、平成13年後半から携帯電話のバックライト光源用青色LEDの需要の急激な落ち込みとなって現れた。そして、その状況は、携帯電話に限らず、あらゆる製品の需要収縮に伴い、当初品薄だった青色LEDの供給過剰を一気に加速した。青色LEDは、国内では、特許係争による、参入の難しさから、供給できる企業が限られるが、世界的には、台湾、韓国企業による新規参入組みが、小さいものを含めると15社に昇り、すでに過当競争に入っている。これらの企業は、製造装置を購入し、技術開発をしないで、ただ単に青色LEDを大量に安く製造するというビジネスモデルである。確かにシリコン半導体のファウンドリー(受託生産)としては成功したこのやり方が、窒化ガリウム半導体でも通用するかどうかはわからない。実際、現在までのところ、このやり方は、必ずしもうまく行っていないように見える。台湾のシリコン半導体のファウンドリービジネスがうまく行っていた背景には、アメリカのネットバブルがある。とにかく、パソコン市場が拡大し続ける状況においては、このようなビジネスモデルは成り立つ。大量に1円でも安く作った者が勝つのである。
それが、今のようにパイが縮小傾向にあり、供給過剰の場合にも通用するかは、疑問である。それに、窒化ガリウム半導体の製造技術は、まだ、発展途上なので、最新の設備を導入しても、すぐ時代遅れになる危険性が大きい。従って、今ある15社は近い将来数社に絞り込まれると思われる。もう既に、青色LEDの価格は、出力によって値段に差はあるものの、標準品で2インチ1枚が500ドルを割るところまで下落している。先日、台湾のウエハ製造会社のCEO(社長)と話していたら、彼らでさえ、この価格では採算が合わないと漏らしていた。台湾でも日本同様、既に産業空洞化が社会問題になっていて、人件費その他コストの安い中国本土への企業流出が止まらない。このような、安く物を作ることでシェアを拡大するビジネスモデルは、もう限界に来ていると思う。中国も、生活が豊かになり、賃金が上昇すれば、また、更に安い賃金を求めて山奥まで行かなければ成り立たない。このようなビジネスモデルを日本、欧米の企業は真似するべきではない。なぜなら、彼らの経営資源は、たった一つ。安い労働力しかないから、そのようなビジネスモデルになるのだ。日本、欧米には、高度な技術・開発力と、質の高い労働力がある。これらの強みを生かした経営をしないと、台湾、韓国にも負けることになるだろう。
いずれにしても、このような状況で、我々が青色LEDを作る理由はどこにも存在しない。それで、平成14年の年度末も押し迫った取締役会において、青色LEDの製造準備からの撤退を決議した。昨年10月に完成したMOCVDは、様々にチューニングが施され、結晶の成長スピード、ウエハ面内の均一性等の最適化が図られ、各装置の特徴が徹底的に分析された。そして、青色LEDの性能も日増しに向上して行った。あとすこしで、市場に出せるという状況での撤退の決断は、日夜努力を継続してきたエンジニア達には酷だったかもしれない。しかし、青色LED用のウエハを出荷することの特許上のリスクと価格面での採算性を考えると、撤退は正しい選択だったと思う。ただ、その開発の段階で、我々は、様々な重要なノウハウと製造技術を蓄積することができた。同じ品質のウエハを製造し続けるというのは大変難しい。特に、窒化ガリウムの場合、製造は大変ナーバスで、たった1度の温度の違いが、LEDの波長を変えてしまう。同じ様に見える青色だが、波長が数ナノメートルずれるだけで、もう商品価値がなくなってしまう。変化するのは、温度だけではない。製造装置は、毎回成長条件が変わる。それは、リアクター内の温度分布、部品の劣化、内部に付着した原料の残りカス、原料の純度の変化、その他我々がわからないところで、パラメータが勝手に変化している。従って、その変化を事前に予測しながら成長条件を振ってコントロールする。このようなことを毎回やる。これは、そば打ち名人が季節、その日の天気や材料によって、経験と勘で微妙に打ち方を調整するのと似ている。従って、エンジニアには、成長毎に大変な集中力が要求される。こうして出来上がったウエハは、品質検査が行なわれて、出荷される。開発当初は、ウエハの出力を上げるのに苦労した。客先の要求は、月毎に厳しくなって行った。これはイタチごっこだった。1ミリワット、2ミリワット、3ミリワットとこちらがやっとスペックを満たしたかと思うと、客先は、その上のスペックを要求してきた。出力がOKになれば、今度は歩留まり。1枚のウエハから何%の完成品が取れるか。50%、70%と同様に高まって行った。
当社は、客先の言う通りに、要求を満たして行った。そして、最後が価格だった。この価格が、我々がやっとスペックを満たして、製品化できるかというところで、1枚500ドル以下という無情の要求が来た。この要求には、我々は閉口した。そして、この価格では出荷できないとの判断から、撤退を決議した。ここで、ただ、単に撤退だけを決議したらビジネスを放棄することになるが、幸い、405nmと370nmという2種類の紫外線の開発に成功していたから、このような大胆な決断ができたのである。405nmという波長は、紫外線の一歩手前、紫色であり、この波長の光に人間の目は焦点を合わせられない。従って、この光を見るとぼやけたように見える。インジウムを含んだ窒化物半導体は、この波長で最も強い光を発することができる。発光ダイオードより強い光を発する青紫色レーザーダイオードが、この波長なのは、それが理由である。青紫色レーザーダイオードは、次世代DVDの読み取り、書き込みに利用するデバイスだが、405nm近辺で強力な光を放つ。当社が開発した405nmはLED用であり、レーザーではない。我々も既にレーザーの開発には成功しているが、この分野は、日亜化学以外にも、ソニー、サンヨー電気など、大手が参入を表明しているので、我々のようなベンチャー企業が付け入る隙はない。
さて、この1年間、巷では、同時多発テロ、炭素菌事件等さまざまな事件が起こり、アメリカ経済の先行き不安に拍車がかかった。日本国内においても小泉内閣の構造改革と景気対策に対する不安から、景気は依然低迷したままだった。本来、このような状況は、ベンチャー企業の成長には、マイナスのはずだが、我々にはあまり関係なかった。特に製造業の中国への移転が加速し、大企業の工場閉鎖、半導体事業撤退、縮小の記事が毎日のように掲載された。小泉内閣は、大学発ベンチャー1000社創出を目標に掲げ、日本経済再生をベンチャー企業に期待した。そんな環境下、当社は、産、学連携のモデルケースとして、マスコミに度々取り上げられた。
平成13年秋、我々は、更なるファイナンスを検討する必要が出てきた。理由は、テロ事件の影響で景気悪化に拍車がかかり、先行き不透明な状況で、間接金融に頼るのはリスクが高いように思われたからである。そこで、既存株主を優先する形で5億円を調達目標に、シリーズC第三者割当増資を行なうことになった。この時、手元にはまだキャッシュがあり、当初の予算では、銀行から借入れをする計画になっていた。ベンチャーキャピタリストの村口和孝氏には、社外監査役に就任してもらっていたので、取締役会において村口氏の意見を参考に資金調達方法の検討がなされた。村口氏も、この時期に増資をすることが、株式公開に障害になるとは考えられない。むしろ、資金的に安定することを歓迎するだろうという意見だった。そこで、株価をいくらにして何株発行するかを検討した。当面必要と思われるのは、最大で約1億円程度だった。
しかし、当時の経済情勢から判断すると、通常の方法では1億円の増資は難しく感じられた。株価に関しても、1年前のシリーズBの株価が250万円であり、工場も完成し、売上計上も目前という状況で、株価を500万円に設定した。私は、この株価で1億円集めるのは、ある意味で難しいと判断した。なぜなら、このころ当社へアプローチしてきた外資系ベンチャーキャピタルのオファーは10億円以上だったからである。半導体ビジネスというと通常10億、20億は当たり前だからだ。ただ、当社の場合、10億円も調達すると、既存株主の持株比率を大幅に下げることになり、資本構成がバランスを欠くので株式公開にも影響が出る。だからといって、数千万円引き受けてくださいというお願いは、彼らにはおもしろくない。したがって、1億円という金額はあまりにも中途半端なのである。そこで、私は5億円なら集められると判断した。この時、既存株主の大手損害保険会社と日本テクノロジーベンチャーパートナーズは、即決で引き受けを了承した。そして、外資系を中心に数社に対して検討を依頼した。そんな中で、米国ワシントンD.C.に本社を置く世界的にも有名な投資会社カーライルと政府系ベンチャーキャピタル新規事業投資が、投資引き受けを申し出た。特にカーライルは、我々の事業に関して、弁護士、監査法人、弁理士を使って大変緻密な調査・分析を行なった。我々は、どうしても、外資系というと乗っ取りのイメージが頭にあって、疑心暗鬼になりがちだが、彼らの調査・分析作業は、理に適った当然のものであり、我々の問題点を浮き彫りにした。その分析作業の中で、株価が問題になった。彼らとしても、この株価ではリスクが大きすぎるというものだった。
結局、我々は、彼らの高いビジネス遂行能力、合理的判断力、グローバルなネットワークが我々の事業にもプラスになるとの判断を下し、株価400万円で投資の受け入れを決定した。それで、今回も年末の押し迫った、クリスマス直前に5億円が払い込まれ、またしても最高のクリスマスプレゼントを手にすることができた。この増資は重要な意味を持っていた。この時期、大部分のベンチャーキャピタルが案件への投資を控えていて、とても増資できる環境ではなかった。それも、同時多発テロのさなかに当社の案件の審議がなされ、テロで審議が延期されるといった異常な事態にもかかわらず、当社への投資を決定したということは、大変名誉なことであり、自信に繋がった。そして、カーライルの、日本へのベンチャー企業投資案件としては、当社が第1号となった。この増資は、結果として正しかった。その後、先ほど書いた通り、青色LEDの価格下落を理由に青色LEDウエハの生産撤退を決議せざるを得ない状況になったからだ。
当社の武器は、スピードと機動性である。立ち止まって考えている余裕はない。一日も早く紫外線発光ダイオードを始めとする様々な新製品を世に送り出さなければならない。私は、あまりにも株式公開を意識し過ぎるあまり、売上を作って経営を安定させることに気を取られて、本来この会社を設立した時の目的を見失っていた。投資家も、そのような成長を期待して、大きなリスクを取って多額の投資を当社に対して行なったのだ。青色LED用ウエハを売って、そこそこ儲かる企業になっても誰も喜ばない。我々が成し遂げようとしているのは、新しい価値観の創造である。大学に眠るたくさんの素晴らしい技術が、高付加価値事業として花開くための日本独自のビジネスモデルの構築こそが、我々の目指す究極の目標である。シリコンバレーのベンチャー企業は、時価総額経営でアメリカ経済を復活させたが、我々は、知的財産経営で日本経済を復活させる。大学や研究機関に眠る莫大な知的財産に価値を持たせることによって、日本のバランスシートは黒字になるのである。そのためにも、常識的なやり方で、何年も掛けて実現したところで、意味はない。日本経済再生に重要なのは、スピードとダイナミズムである。
最近読んだジェームズ・C・コリンズ著「ビジョナリ-カンパニー」という本に面白い分析が載っていた。簡単に要約すると、「良い企業は、偉大な企業にはならない。」「偉大な企業は目立たない」「偉大な企業には派手な経営者も、特別な経営戦略もない」「偉大な企業は、必ずしも成長分野である必要はない」といったような内容だった。経営史に名前を残した多くの経営者は、必ずしも最高の経営者であったとは限らないということである。そのCEO在職期間中の企業業績を冷静に分析すると、ジャック=ウェルチ、アイアコッカ等の有名経営者は、一時的には確かに成果を残したかもしれないが、退任後も含めた一定期間を基準として見ると、必ずしも素晴らしい業績を残していないというものである。確かにこれらの経営者が成し遂げたことは、大規模なリストラによる不採算部門の切り捨て等による収益性の向上である場合が多く、新たな経営資源の発掘による企業の安定的成長ではない。実際には、このような改革でさえ、実施することが困難な場合が多いので、否定するつもりはない。この本は、現実のビジネスを非常に冷静に分析したものであり、恣意的な解釈の多い従来の分析より、私は共感を覚えた。ある成長企業を分析する場合、その企業には他の企業にはない、何か特別なものがあったに違いないという期待が加わる。一般的結論として、優れた経営者、または、革新的技術の開発などが、その成功要因として挙げられるが、実際には、その競合企業も全く同じような条件で事業を展開していた場合がほとんどなのである。たとえば、オリンピックで優勝した選手を全員調べると全ての選手にコーチがついている。ところが、実は負けた選手にも全員コーチがついていたということである。
ビジネスの世界で、他社がどこにも持ち合わせないような新製品、新技術、マーケティング戦略で、大成功したなどと言う話は、実際あまり聞かない。じゃあ、本当の成功要因は、何か。その答えは、意外と我々が思いも寄らなかった、気にも掛けなかったことであることが多いのかもしれない。この本の中では、「バスに誰を乗せるかが重要だ」と言っている。我々は、今、何も分からず、がむしゃらに突き進んでいる。様々な点において、行き当たりばったりの部分は、どうしてもある。あの、ネットスケープでさえ、先に存在したモザイクとの特許係争をギリギリのところで切り抜けている。これらの成功した経営者は、一様に、「運がよかっただけだ」と言う。成功を確信して、やるべきことをやっただけということだ。
我々は、今、毎日のように発生する問題点をいかに解決するかということに頭を悩ませている。解決方法は一つではないし、何時の時点で成功と判断するかは難しい。やっていることが、正しいかどうかはわからない。ただ、目的に向かって全社員が一丸となっていることは間違いない。この一つの事実だけで、私は、この会社を起してよかったと思っている。皆が、どうしたら良い製品を作れるか、どうしたら製品が売れるかと、毎日考え、行動している。
ところが、そのような状況で、役員、従業員全員が私を吊るし上げるという事件が発生した。私は、以前にも書いた通り、あらゆる面で、役員、従業員に厳しい。しかも、私自身は、完璧な人間ではないし、むしろ欠けた部分が多いと自覚している。幸い、この事件は、組織、人事、制度面での当社の不備を明らかにし、内部体制の強化に繋がったが、このようなことは、どの企業にも起きることである。私自身も、この事件をきっかけに、自分の奢り、甘えを反省し、成長することができたし、彼らも同じように成長した。私は、資金調達に関しては十分に自分の責務を果たしていること。そして、自分の給料を低く押えていることで、傲慢になっていた。私は、常々、待遇面で、彼らに「金を追うな、世のため、人のために尽くせば、金は後から付いてくる」と言っていながら、「売上を早く作れ」と矛盾することを言っていた。待遇面での話と、企業業績との違いはあるが、真実は同じなのである。
この事件をきっかけに、私は、毎朝、会社の窓拭きをしている。不思議なことに私が窓をきれいに拭けば拭く程、ウエハの性能が上がり、会社がうまく廻っていく。もし、当社を訪れることがあって、窓が汚れていたら、私に言って欲しい。それは私の怠慢なのだから。