Chapter 11
いよいよChapter11である。と言っても、本当のChaper11ではないので、ご安心いただきたい。ご存知の通りChapter11とは、米国連邦破産法11章のことであり、日本で言う会社更生法に関する取り決めが記載されている章である。ちなみにChapter7は、倒産のことを規定した章である。とは言っても、米国は、こういうことに寛大な国であり、日本のように社長が身ぐるみ剥がれて夜逃げしなければならないようなことはなく、豪邸や高級車は取り上げられるが、最低限生活に必要な物は残してもらえるよう規定されている。
さて、当社が、Chapter11でChapter11適用に到らなかったことは、誠にめでたいことである。これも、一重にお取引先の皆様方のお陰である。投資して下さった投資家の皆様、当社の製品を買ってくださるお客様をはじめとする多くの皆様方の大変なご理解のもとに企業が存続していることを痛切に感じる。特にベンチャーキャピタル(VC)からは、大きなお金をお預かりしていることもあり、担当者の方々が、言うに言われぬプレッシャーの中で、当社の成行きを見守っておられることは想像に難くない。特に、平成15年は私が厄年であったこともあり、大変なことがいくつも続き、心臓に悪い一年だったと思われる。にもかかわらず、私を信じていつも温かく応援していただき、心から感謝申し上げたい。
これからご紹介する内容は、私自身が、記述してよいものか大変悩んだ末、勇気を持って書くことにした。当社が設立当初からパブリックな経営を指向していることに鑑み、情報を公開する必要性があると判断した。これは、多くの会社が、このような臭い物に蓋をしてしまうのに対し、当社は、敢えてオープンにするという姿勢を表明するという意味合いもある。当社が、外部資金を導入しないで、身内だけで経営されている会社ならば情報公開する必要はないが、多くのVCから出資していただき、将来的にも株式市場からの資金調達を目論んでいる以上、このような重要な事実は、社会的責任として早い段階で公開しなければならない。ただ、最初に述べる事実に関しては、事の性質上、公表を控えて来た。それは、個人の尊厳に関わる問題だからである。しかし、既に発生から半年以上が経過したので、公表することにした。
昨年6月、株主総会の1週間ほど前、当社の技術アドバイザー(その後株主総会で取締役に就任)である酒井士郎教授が、脳梗塞を患い、入院した。幸い命に別状はなく、リハビリテーションによって順調に回復しつつあるが、一時は大きな衝撃を受けた。実務上は、先生から技術を叩き込まれた多くの教え子が、立派に役割を果たしているのであまり影響はないが、対外的な旗頭としての役割が期待できない状況になった。一時的とはいえ、先生がいなくなったことが、当社の社内的な力のバランスを崩す原因になり、大きな問題を引き起こすことになった。
当社の役員構成が変わっていることに、既に御気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、12月から常勤役員2名、執行役員1名、監査役1名がいなくなっている。これは、会社の方向性を巡って、私と彼らの間に大きな見解の相違が発生し、全従業員、社外役員を巻き込んで、どちらの方向性が正しいかを議論した結果、彼らが退陣することになった。これは、私と酒井教授にとっては1+1=2である程明らかな答えが、彼らには、2ではなかったということである。我々にとっては全く議論の余地などない程明らかなことが、彼らにはノーだったのである。
これは、人間の視力と同じような問題が思考力、判断力にもあるということを、改めて認識することになった。人の視力には個人差があり、遠くの物を見る能力は明らかに違うが、色を認識する能力も微妙に違うらしい。虹の7色の紫色(波長約400nm)の外の光が紫外線。赤色(波長約650nm)の外の光が赤外線であり、人間の目には見えないが、目に見える(可視光)7色も各個人で見え方が微妙に違うという。これは、色が、それぞれの人の脳に何色と認識されているかが分析できないので、比較のしようがないが、真っ赤なバラを見ていても、私の見ているバラと、他人が見ているバラは、別の色で認識されているのである。色の認識でさえ個人差があるのであれば、物事の判断力に差があるのは当然のことだが、今回の騒動は、私の意思を最も理解しているはずの役員が、私の意思に反する行動をとったということで、私にとっては辛い経験となった。これは、酒井教授不在によるバランスの崩れに起因する組織崩壊である。
私は、以前にも書いた通り、技術者ではないので、技術的な面に関しては、酒井教授に任せ、余計な口出しをしないことに徹して来た。ただ、それは、スタート段階の話で、事業が進むにつれて私が技術に口を差し挟むことが増えた。それは、技術的内容ではなく、製品に対する要望ということだが、製品開発スケジュールから、生産管理、品質管理など、製造・開発のありとあらゆることに私が口を挟まざるを得ない状況になった。これは、顧客の要望を技術に反映させなければ製品が売れないのだから当たり前のことである。だから、私は、様々な要望を技術にフィードバックし、エンジニア達はそれらの要望を解決して行く。教授は、常にエンジニア達のよき相談役としての役割を果たしてきた。
以前、私は大学とビジネスのギャップについて述べた。大学と企業の文化の違いを克服しなければならないと書いた。会社が製品を製造するために必要な技術は、地道な量産技術であり、その分野で教授に期待することはあまりない。それで、なんとなく事業が具体的になるにつれて、教授と会社の間の溝が気になり始めた時期だった。私自身は、そのような教授の役割の転換期に起きたこの難局をソフトランディングに持ち込めると高をくくっていたのだが、構造的欠陥を内包する組織は、制御不能に陥った。バランスの崩れが、会社の弱い部分を露呈することになる。建物はバランスを崩すと構造上最も弱いところが崩れるのは会社も同じである。当社の弱い部分は、放任主義による、組織的団結力の弱さであった。以前にも書いた通り、私は自分の意見を押し付けたりせず、更には、細かいことまで指示しない。それが、組織の結束を弱め、一部の者の暴走に繋がったのではないかと思う。
私は、居心地のいい会社とは、民主主義の会社で、言いたいこと、やりたいことができる会社だと思っていたが、それは大きな間違いだった。そのような会社が成り立つ条件として、全ての従業員が、プロ野球のように、プロフェッショナルである場合に限られる。従って、ベンチャー企業のように社歴が浅く、理念が浸透していない上、役員が中途採用の大企業出身者で構成される会社の経営は、民主主義では成り立たない。これは、従業員の自由な意思を否定するものではない。意思決定に至る過程で意見を言うことは大いに結構だが、私がこうと決めた事柄を変更したい場合は、私を説得できる材料が必要である。説得できない場合は、私の考えに従うしかない。こう書くと、器の小さい経営者と思われるかもしれないが、限られた時間の中で目的を達成するためにはそうするしかない。
織田信長が天下統一の礎を作った田楽狭間の合戦で、たった5千の兵力で今川義元の2万5千の大軍を打ち破ることができたのは、忠誠を誓った家臣と信長の命令に背いたら殺されると思った家臣の両方の存在があったからである。一般的には戦は、兵力すなわち兵士の数で勝敗が決まる。信長も、この戦以降、兵力的に不利な戦はしていない。この戦は、信長の出世のきっかけになった大博打だった。忠誠を誓った家臣は、信長のために命をかけて戦い、そうでない家臣達も、どうせ死ぬなら信長に首を切られるより敵と一戦交えて潔く死のうと思った。そうでなければ、忠誠を誓っていない家臣達は今川側に寝返ったに違いない。いかなる時代においても、戦時における敵前逃亡は銃殺刑と定められている。ここまでしても守らなければならないのが団体の秩序である。会社も同様に、民主主義で皆が言いたい放題、やりたい放題やっていたら、大企業に太刀打ちできる訳がない。御大将の命令で、全員が一丸となって突き進むことで、敵にスキができ、突破口が開けるのである。これは、大将を尊敬しているかどうかは関係ない。大将の命令に従わざるをえない状況が必要なのだ。こういう状況で、大将が馬鹿な場合は、家臣はただの犬死にになるので、家臣は大将を選ぶべきである。どうせ尽くすなら優れた大将に付いた方がいいに決まっている。一度、この大将に従おうと決めたら、命を掛けて大将に忠誠を尽くさなければならない。これが自らも出世する最短コースである。そこで手柄を上げれば、大きな褒美がもらえる。
丁度、折良く「ラスト・サムライ」という映画をやっていた。私は、この映画を見て心から感動した。これぞ、私が目指す究極の組織だと。これぞ武士道。日本人のあるべき姿だ。最近の日本人は、どうもそこら辺がおかしくなっている。だから、世の中全体が狂っているのだろう。もう一度、すべての日本人が武士道を学ぶべきではないか。武士道とは、当然「躾」が前提になるので、言葉使いから立ち居振舞い、親、妻、子供としてあるべき姿を学ばなければならない。なぜ、学校で武士道の授業がないのか。
先日、ヨーロッパの商社のトップと業務提携の際に、会話をする機会があり、日本とヨーロッパと米国の文化の話題になり、ほんの短い時間ではあったが、彼らから騎士道を感じ取った。彼らは自分の意見を押し付けたりせず、相手を尊重しようという姿勢が感じられる。ところが、最近の日本人は、どちらかというと米国人に近く自己主張が強いような気がする。日本の武士道の精神が失われつつあるのではないか。親子殺人、不正経理その他、個人、企業を問わず新聞紙上を賑わせている事件を見ると、本当に異常な国である。
冷静に分析すると、私が、企業を民主主義で運営しようと思ったのも、同じ過ちなのである。戦後、あまりに、自由を主張し過ぎるが故に、真の自由と偽の自由の混同が起こっている。真の自由とは、厳しい規律の中に存在し、規律を守ることがその前提になっている。それが、いつの間にか、その規律さえも守らなくて良いという勘違いに陥っているのである。それが極端になり、親子殺人その他のあってはならない事件を引き起こしている。更に、恐ろしいのは、我々がそれらの凶悪事件に何の驚きも感じない凶悪事件不感症というような神経麻痺状態に陥っていることである。教育の原点に立ち返って、武士道精神のような、人間として最低限身に付けておくべきことを、学校で教えて欲しいと思う。どうせ知識などは、社会に出てからも、あまり役立たないのだから。
いずれにしても、当社の布陣が乱れたのは、私自身にとっても大いに反省すべきところであるが、今でも理解できないのは、なぜ彼らが、私の意思に反してそんな馬鹿げた判断をしたのかということである。リハビリ中ではあったが酒井教授に無理をお願いして臨時取締役会に出席してもらい、教授が私と同意見であることを表明したことによって、彼らは根拠の拠り所を失って失脚した。具体的には書けないが、彼らの方針に従っていれば、ほぼ間違いなく、当社は、数ヶ月後Chapter11になっていた。彼ら程のキャリアのある連中がそのような判断を下すことは常識では考えにくい。確かに以前にも、設備投資を巡って、彼らとその必要性に関して意見が対立したことがあった。彼らは、役員でありながら、資金繰り、売上等の経営上の重要な問題に無頓着な傾向があった。それは、大企業ならば、あまり気にする必要がないのかもしれないが、たった1円のお金が足りないだけで企業が倒産することを、彼らは認識していないようだった。お金が無限にどこかから湧いてくると錯覚していた。彼らはもっともらしいが現実離れした事業計画を作ることにおいては、高い能力を発揮したし、語学も堪能で、海外とのやり取りも卒なくこなした。しかし、彼らに致命的に欠落していたのが、私に対する忠誠心と事業感覚である。事業感覚とは、実際に泥臭い作業をすることによって、具体的な形を作り上げることである。設計図は作れるが、実物は作れないのだ。
今回の事件を冷静に分析すると、これは私の方針の誤りによる当然の報いだったようにも思う。最初から、団体の結束力を高める理念を浸透しておけば、このような無駄な血を流さずに済んだかもしれない。徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田勝頼に敗れて脱糞しながら命からがら逃げ戻った際に、二度と同じ過ちを繰り返さないようにと、自画像を画かせているが、私の今の心境も同じである。この写真は、そんな自分に対する戒めも込めて年末に撮った写真である。
平成15年年末
厄年の締めくくりにあたって