Chapter 173
太平洋戦争の悲劇が繰り返された。敵は連合軍ではなくウイルス。人類がコロナに勝った証として開催する筈だった東京2020。今尚、多くの尊い命が犠牲になりつつある。こうなるかもしれないが、国民が一致団結して、この国難を乗り越えて欲しいといった大義があれば、受け止め方は違ったかもしれない。しかし、電通、パソナ等、政治家の息の掛かった会社による、中抜き、ピンハネといったケチな私利私欲のために我慢してくれと言えるはずもなく、「安全安心」の繰り返しで押し通した。お寺の住職でも、もっと説得力のある説教をするが、科学的根拠も具体的方法論もない説明は異様。何か弱みでも握られて、マイクの前に立たされているかのような、菅総理の無表情が気になった。影の大きな圧力があることは、誰の目にも明らかだった。メダルラッシュで風向きが変わると本気で考えていたとすればお目出度過ぎる。PCR検査も受診も特別待遇のアスリート達と、発症しても長期間自宅待機させられた一般人、限界状態で戦う医師、看護師、救急隊員、保健所職員との格差を感じた。4年に1度という頻度で開催されるイベントを、無観客としてまで開催する価値があったとは到底思えない。開催断念と感染爆発での経済損失を天秤にかければ結果は明らかだった。実質的に不信任で退陣した安倍政権を首のすげ替えで引き継いだ菅政権は、ワクチン接種、アフガン撤退、病床確保でも、後手を連発、先手を打てないことで後始末は増える一方だが、自ら傷を広げて一生懸命やった感をアピールされても、冷めた目で見られるのは仕方ない。結果が求められるのは、スポーツも政治も同じ。このような政府が、憲法改正というのだから恐ろしい。過去の過ちから戦争を放棄した国が、また過ちを繰り返そうとしている。親、兄弟、子供を失い、残された家族や、治っても後遺症の残る人々に、狂気のイベントはどのように受け止められたのか、検証が必要だ。
東京2020で、浮かびあがったのは、政治と中央官僚機構の統治機能不全。以前から指摘されてきたことだが、判断の誤りは誤魔化しようがない。大艦巨砲主義から空母、レーダーといったように太平洋戦争に於いても最先端技術が鍵を握ったが、オリンピックが国威発揚の場という発想は時代錯誤、玉音放送的一方通行の情報発信。極めつけは感染症専門家御用会議。感染を予防する方策があらゆる科学的見地から検討され、対策が速やかに実施されるべきだった。憶測の域を出ないが、影の力が政治家を操り、国民の利益をないがしろにして大きな権限を振るう姿が透けて見える。賄賂を撲滅した中国のように、強権発動ができない日本では、三権分立が機能しなければ、国の統制は効かない。
この期に及んで、喘ぎ苦しむ国民生活とは無縁であるかのような自民党の派閥争いには呆れて口が塞がらない。マスコミにも責任がある。今、感染拡大を抑えるべき時に、自民党のトップが誰になろうが関係ない。自民党に自浄作用が働かないとすれば野党が結束するしかないが、どちらも当てにならないところが悲しいところだ。衆院選2021で新しい日本の夜明けが迎えられるか、正念場を迎えている。
令和3年9月6日
東京2020のレガシー