Chapter 57
映画「ソーシャル・ネットワーク」の影響かもしれないが、起業、ベンチャーという言葉が新聞でよく見られるようになった。ホンダ、ソニーは、かつてベンチャーと言われたが、その後に続くベンチャーが現れないのはなぜだろう。
先日、ジャパン・ベンチャー・アワードの表彰式があり、参加させていただいたのだが、16社のファイナリストの中から、経済産業大臣賞、中小企業庁長官賞などが選ばれた。弊社は、残念ながら、それら上位の賞には該当せず、審査委員会特別賞を頂戴した。記念写真の仏頂面がその時の心境を表している。
審査基準は、色々あると思うので、結果は結果として真しに受け止めている。私自信、個人事業から始めて、社団法人の設立、株式会社を2社立ち上げたが、どのような事業でも軌道に乗せるのは難しい。日本は、起業家をリスペクトするよりネグレクトする環境と言われるが、日本に限ったことではない。先日も、山口でユニクロの製品は誰も買わなかったという話を聞いたが、そんな苦労話はどこにでもある。日本人に限らず、人間は自分より勝る者を妬み、劣る者は蔑む。また、新しい物は拒絶する。あのスティーブ=ジョブズでさえ、自ら立ち上げたアップルを就任9年目で追い出され、iPadの普及に17年掛かった話は前章で触れた。だから、シリコンバレーには、ベンチャー起業家に好意的な環境があるなどというのは勘違いで、寧ろ熾烈な生存競争があって、本当に才能のある者しか生き残れないという意味において、ベンチャーを生みだす風土がある。
私は、幼いころから正直にものを言い過ぎると母に叱られたが、人に表と裏があることを、まどろっこしく思うタイプの人間だ。私は、嫌いな奴とは口も利かないし、嫌なことははっきり嫌と言う。愚痴というのは、本音と建前のギャップが原因である場合が多く、それを無くせば愚痴もなくせると信じている。確かに、本音と建前があることによって、摩擦が少なくなる効能はある。お祝いにもらった品を、「前から欲しかった」と言えば、贈り主は喜んでくれる。しかし、正直な気持ちを伝えなければ、次のお祝いもがっかりすることになる。従業員に対しても、駄目は駄目と伝えなければ、仕事は前に進まない。
ベンチャー企業が育つ風土を考えた場合、人を困難な起業に挑ませるための強力なインセンティブがいる。確かに社会の役に立つ、命を救うなどといったインセンティブは存在するが、社会貢献はビジネスではない。あくまでもビジネスは金儲けだ。わかり易い話をしよう。ある製薬会社が、安い原料で画期的な癌の治療薬を開発したとする。もし社会貢献が目的なら、その製薬会社は、薬を安価に患者に提供すべきだ。ところが、原価が10円であろうと、1粒100万円でも安いと患者に思わせるのがよいビジネスだ。
実際には、研究開発に膨大な費用が発生するので、そんな旨い話にはならない。弊社も、最近になってやっと開発投資を少しずつ回収しているというのが実情だし、いかに画期的な技術であっても、製品の価格は従来からあった技術との競争になるため、ボロ儲けということにはならない。いずれにせよ、嫌らしい話に聞こえるが、良いビジネスとそうでないビジネスの違いは儲けの多寡による。シリコンバレーの起業家の強力なインセンティブは、プール付きの豪邸に自家用ジェットと相場が決まっている。品行方正な七三分け起業家なんて、魅力もないし、見込みもない。
私は、幼い頃から、他人と同じように行動することは格好悪いことだと父から教えられた。たとえば、指揮者の小沢征爾が国民栄誉賞の受賞式で、タキシードではなく徳利のセーターで天皇陛下から賞状を受け取ったのは格好いいが、高校野球の選手宣誓は馬鹿の一つ覚えで格好悪いと教えられた。勘違いをする人がいるといけないので、敢えて強調するが、ルールや規則を破るということではない。中途半端な芸能人が麻薬に手を染めたり、未熟なベンチャー経営者が粉飾決算するのは、ここに勘違いがある。
ベンチャー企業を育む風土として、「○○を日本のシリコンバレーにしよう」とよく言うが、それでは、中国のコピー商品を笑えない。模倣が創造の始まりなので否定しないが、いい加減に日本をシリコンバレーにするのはやめようではないか。目標がそこでは、シリコンバレーを越えられない。むしろ、ベンチャー企業が集積する浜松、京都あたりを、自動車湾岸、電脳盆地とか呼んで、日本独自のベンチャースピリットを継承、鼓舞する努力が必要ではないか。
また、余計な事を言って、お上の反感を買うかもしれないが、政治が混乱し、将来が不安な今こそ、国民に自立心が芽生え、結果として起業風土が生まれるかもしれない。
ホンダ、ソニーを越えるベンチャー企業が登場する日は近い?
この余計な一言が、大臣賞を貰えない理由か。でも、本当のことだから・・・・(笑)
平成23年2月23日
ジャパン・ベンチャー・アワード受賞式に際して