Chapter 74
いじめ、体罰、自殺という文字を毎日のようにマスコミで目にするが、日本は平和だと感じる。
私の小・中学校時代には、公然といじめが行われ、公然と体罰を受け、自殺もあったが大騒ぎになった記憶はない。人間はおぎゃあと産まれた瞬間から、一人で逞しく生きて行くことを宿命付けられている。健康に恵まれれば何よりだが、そうでないこともある。パラリンピックを見れば、不遇なのに逞しく生きている人々が大勢いることがわかる。幸い五体満足に産まれ、大きな病気、怪我をしたこともない自分が、些細なことで悩むのは彼らに対して失礼と感じる。
いじめにも色々あり、妬みによるものもある。恵まれていることでさえいじめの対象になるのだから、対策を考えることは無駄と思える。先進7カ国蔵相会議(G7)で、日本が円安誘導と非難されることはいじめとも受け取れるが、誰もいじめとは言わない。これは駆け引きだ。お互いが牽制し合い、自分達に有利な状況に持ち込もうとする。誰もが中央銀行が為替誘導できる程の力を持っていないことを知っている。日本人は駆け引きが下手な民族と言われているが、単一民族で隣人と文化や価値観の違いを意識することもなく、また、強くなりたいと努力する部活動やオリンピック選手の指導方法にまで周りが干渉する異常さを見れば、今後、日本の競争力は低下傾向にあることが予想できる。
私は、幼い頃から危ないことをすることが好きだったので、建設中の高層ビルの足場に登ったり、歩道橋の手すりの外側にぶら下がって渡ったりして、翌日、同級生にチクられて教師にビンタを食らうなんてことは日常茶飯事だった。ましてや、運動部では殴られることを勲章ぐらいに感じていた。子供は体が軽いので殴られると飛ばされるが、大して痛くなかった記憶がある。多分、殴り方もうまかった。親も悪いことをしたら殴ってくれと教師に伝えていたことを記憶している。大学では体育会器械体操部に所属し、夏の菅平合宿ではOBによる理不尽なしごきに耐えた。こういう無駄な練習は、それが無駄であればあるほど効率的な練習をしたいと考えるので本当に無駄な訳ではない。その延長線上でベンチャーを起業した訳だが、選手として、また、経営者としてビンタを食らうより辛いのは、周りの期待に応えられないことだ。経営者で自殺が多いのは、死ぬことで債権者にお詫びするという日本的な発想がある。私自身も経営が厳しかった時期、死にたいと思ったことは何度もあった。私は、自殺に関しては自虐的目的よりもメッセージ性が強いと思う。いじめや体罰がトリガーになった可能性はあるが、自殺の本当の原因ではないのではないか。人の本当の苦しみは心の傷である。返って気の毒に感じるのは、体罰を加えた教師の方だ。愛の鞭が理解できるのは、困難を乗り越え、敵に勝った瞬間だ。生徒はその瞬間迄待てなかった。
海外の企業と競争若しくは協力する中で、徴兵制が若者の精神を鍛えるのに重要な役割を果たしていると感じることがある。軍隊では、上官の命令で起床から就寝まで規律正しい生活を義務付けられ、命懸けで突撃しなければならない。また、軍隊のある国は、国を守る軍服姿の若者に対して尊敬の念を抱いている。日本では災害派遣の時以外、自衛隊に感謝の気持ちを抱くことはない。日本も社会人教育の一環として自衛隊に入隊して理不尽なしごきを体験させたらどうか。
スポーツの世界に限らずビジネスでも幼い頃受けたいじめがきっかけになって成功した人は多い。その悔しさをばねに、体を鍛える、知識を高めるといった、人格形成の重要な役割を担っている。
重要なのはいじめや体罰を無くすための議論ではなく、いじめを乗り越え、体罰を愛として受けとめられる強い精神力を養うための議論ではないだろうか。
日本でベンチャー企業が育たないのは、環境が問題なのではなく、逆境を跳ね返せない起業家の精神力の弱さが原因だと実感する。
平成25年02月15日
社会環境と強い精神力