Chapter 93
あけましておめでとうございます。
昨年は、青色LEDのノーベル物理学賞受賞という明るい話題があった。電子部品業界は、アジア勢との厳しい競争に喘いでいるので朗報となった。
青色LEDは、20年以上前に日本の産学官が一丸となって成し遂げた快挙と言える。実際にそれを実現したのは、小さな蛍光体製造メーカーの日亜化学工業と、合成樹脂メーカー豊田合成。LEDとは縁があまりない企業が開発に成功したのは、従来の常識が通用しない材料特性に因る。InGaN結晶中に大量に欠陥が存在するにも関わらず明るく光る現象は、開発数年後に発光メカニズムが解明されたが、当時の研究者の常識からはあり得ない現象だった。それが、大企業やLEDメーカーが成功しなかった理由である。ただ、これらの常識に則った失敗の蓄積がなければ実現しなかったことも事実であり、失敗した多くの研究者たちの貢献を忘れてはならない。ノーベル受賞者のお三方は、顕著に貢献したということで日本を代表して受賞したということだと思う。
青色LEDは窒化物半導体の成長基板(ベース)であるサファイアとの戦いと言える。
その理由は
- GaN結晶とサファイアの格子定数が異なるので綺麗な結晶を得難い
- 導電性がないので電極形成上制約がある
- 硬いのでチップ加工し難い
- 熱伝導率が低いので放熱し難い
という課題があった。
そもそも、その扱いづらいサファイアでさえ、結晶をインゴットで成長することが難しく高価な材料だった。京セラは特殊な成長法を開発し安価量産を実現した。また、GaN結晶を成長するにあたっては、リアクター内の成長温度が1000度を超え、他の色のLEDを成長する場合より400度以上高温で行う必要があった。そのような特殊な成長を実現するMOCVD装置は高温の原料ガスがサファイア上を乱れなく流れるよう、フロー方法の試行錯誤が行われ、高温に晒されるリアクター内の材料は、カーボン、石英、SiC等材料メーカーが知恵を絞った。そして、GaN結晶成長の後、電極を形成するにあたって、導電性がないためにn電極はエッチィングで掘り下げて形成。最後、硬いサファイアを小さなチップに切り分けるにあたっては、400ミクロン厚のサファイアを100ミクロン迄研磨した後、ダイヤモンドカッターで傷を入れてガラスのように割った。
このようにして出来上がった青色LEDだが、日亜化学工業の創業者小川信雄氏は、青色LEDの市場規模が小さいとして事業化するか悩んだと聞く。そんな悩みを一気に吹き飛ばしたのが白色化だった。この白色化にあたってはドラマがあった。日亜化学工業は、当時製造歩留まりの関係で大量にチップの不良が出ていた。それを処分するため、それらのチップにYAG蛍光体(黄色)をのせて白色化し、ユーザーに無償で配った。すると、これが当時始まったばかりのiモード携帯電話の液晶画面のバックライトに使用できるということで爆発的に売れた。携帯電話のタッチパッドや信号機に使用される青色LEDのマーケットは数百億円にしかすぎないが、白色を実現したことで更にパソコン、TVの液晶画面のバックライトに続いて照明用途に迄マーケットが広がり、市場規模は一兆円を超えた。
青色LEDの歴史には多くのドラマがあり、そのほとんどに日本人が関わった。確かに、今、日本の家電、電子部品業界は厳しい国際競争に喘いでいるが、そもそも、青色LEDを実現する過程も茨の道だったことを忘れてはいけない。
どうせ茨の道を行くなら、他の人の先を行こうではありませんか。青色LEDがそうであったように皆さんと一緒に沢山ドラマを作りましょう。
新年にあたり、自らに言い聞かせるつもりで書いた。
今年も皆様によいことがございますよう、心からお祈り申し上げます。
平成27年 元旦