Chapter 146
100年に1度の大雨が、毎週やって来るとなると、防災計画も見直さなければならない。
私は、防災の専門家ではないので、詳しい事情は分からないが、日本に限らず、世界中の様々な分野の専門家が、防災、減災と議論を重ねて、なぜ悲劇は繰り返されるのか?
災害を無くすことはできないが、特に人命の被害を減らすことはできる。 その効果的な方法を考えればノーベル賞どころか、人類の英雄として語り継がれることになるだろう。 それにも関わらず、人的被害が減らないのはなぜか?
天気とは、不思議なもので、昨日は晴天だったのに、今日は暴風雨、それが過ぎ去った翌日は何事もなかったかのように晴天と、「喉元過ぎれば・・」の言葉通り、晴れの日に、最悪の事態を想定して、災害に備えるのは難しい。 最近は、短時間の降雨でも、降り方が激しいと感じることが多くなった。 四国は、元々台風の通り道なので、東北、北陸が雪に強いのと同様、風雨に強い。 特に、沿岸部は、台風でなくても強風が吹くので、風対策は万全だ。 東北、北陸は、そのような観点からすれば台風に対する意識が低いのかもしれない。 「早めの避難、不要不急の外出を控える」という、当たり前の事だが、身をもって恐ろしさを知っているかどうかの差は大きい。 私は、出身が名古屋なので、母から伊勢湾台風の大きな被害と、恐ろしさを教えられた。 実家が知多半島の常滑市の母は、海岸に繋がれた丸太材木が家や人に襲い掛かったと教えた。 その教訓を元に、丸太の係留場所や方法は改善された。 社会構造の変化もあり、今、伊勢湾で、係留された丸太を見つけることはできないが、生活スタイルの変化に合わせた防災計画の見直しが必要とされる。
100年に一度という言葉自体が、もう時代遅れと言えるのかもしれない。 世界各地で、毎年、100年に一度級の異常気象、災害が発生している。 トランプ大統領は、地球温暖化と温室効果ガスの排出は無関係と主張するが、様々な利害が対立する中で温室効果ガスを減らすのは難しい。 従って、温暖化の前提で、防災計画、避難方法を確立しなければならない。
私は、防災計画(指針程度だが)は、決して大袈裟なことではなく、寧ろ単純とさえ思う。 「身の危険を感じた時点では遅いので、怪しいと感じたら逃げろ」とそれだけ。 しかし、人間の行動とは不思議なもので、「まさか」となる。 避難所に避難して難を逃れた人々は、「やっぱり」となるが、生死を分けるのは、「まさか」と「やっぱり」の違いでしかない。
これは、企業の経営でも同じ。 今や、太陽電池に始まり、青色LED、液晶TV、有機EL、スマホでさえ、国内で事業を成り立たせることは困難だが、中国の急速な成長を見逃した人には「まさか」となり、よく観察していた人には「やっぱり」となる。
そんな観点からすれば、絶好調のトヨタ自動車が、電気自動車や、カーシェアリングの変化に、危機感を感じるのは、流石と言っていい。 尾張商人の神髄と言ったところか。
災害被害に遭われた皆様には、心の底からお悔やみ申し上げます。 一日も早い復興をお祈り致しております。 UV-LEDの普及で、復興のお役に立てればと願っています。
令和元年10月28日
頻発する災害から学ぶ