Chapter 164
私は、「我々は、スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦うことを誓います」という、馬鹿の一つ覚えのような高校野球の選手宣誓が嫌いだったが、その根本精神は尊重している。IOCの森喜朗会長の、女性蔑視発言は、これが冗談であったとしても、ヘイトスピーチと言えるし、オリンピック精神どころか、政治家として、それ以前に人としての資質に疑問を感じる。このところ、やることなすこと的外れなコロナ対応を見ていて、国民の誰もが感じているのは、一体、この人達は、誰の意見代表なのかということではないか?感染対策と言えば布マスク、経済活性化と言えばGoto、一方で、夜の飲食街だけが悪者扱い。自宅待機患者は増え続け、ワクチン接種すら始まらない。この国の政治家は、国民の声や命よりも先輩の顔色が重要らしい。オリンピックはスポーツという嘘のないフィールドでの競争だが、民間企業は、ビジネスというフィールドで、国際競争をしている。そこで優勝しても、金メダルはもらえないし、従業員は、ささやかなボーナスに幸せを感じるしかない。企業が、絞り出した利益の半分が税金として召し上げられる。国民の血と汗の結晶、正に血税を、特権階級の先生方は、費用対効果も考えずに、ばら撒く。それが、貯金ならまだしも国債という借金だから罪深い。我々が受ける数百万円単位の研究開発助成金でも、厳しい審査と、実施後5年間の収支報告が求められるが、数百億円が投じられた布マスクの費用対効果、責任の所在が明確にされることはない。渦中のご本人に関しては、あまり意識したことはないが、米国バイデン大統領のように、高齢でも矍鑠(カクシャク)とした方はいらっしゃるので、聖火を受け取った映像を見て、ビジュアル的に違和感を持った。それだけならまだしも、昭和初期からタイムスリップしたような持論を展開し、これが老人ホームでの会話でも受け入れ難いのに、世界へ向けて正当化しようとする取り巻きの姿は、醜態以外の何物でもない。菅首相が、オリンピック開催に全力を挙げると言うのであれば、少なくとも目の前にある、この弊害を取り除かなければならない。本来なら、半年前の今、ボランティアも含めて、開催を今か今かと待ちわびる状況であるべき時に、全く逆の冷めた空気が漂っている。もう、どうせ開催できないのだから、寧ろ、開催できなかった責任は、この会長のせいだったと言えると。実際に、そうかもしれない。今の段階で、コロナ対策として、何と何がクリアになっていたら開催可、これができなかったら不可といった実現可能フローチャートのようなものがあるべきだが、何もないように見える。今までの行き辺りばったりの延長で、周到な準備、戦略があるようには見えない。単に時の経過が解決してくれると勘違いしているようだ。スポーツは、過去にどんな速いタイムを出しても、本番に勝たなければ、評価されない潔さが気持ちいい。自らの名誉を重んじ、そのためには命さえ惜しまないという武士道精神を期待される日本が、今回のオリンピックで政治はレガシーとして何を残す?前代未聞の困難な状況ではあるが、将来を担う若者達のためにも、無様な醜態を晒すのは、やめて欲しい。
令和3年2月10日
政治のオリンピックゲーム