Chapter 192
思わず「レ・ミゼラブル」と叫んでしまいそうだが、トルコ大地震では5万人以上の方がお亡くなりになった。今なお、懸命の捜索が続けられているが、心からご冥福をお祈りする。疫病に続いて、戦争、地震と、この世は地獄とも思える。「レ・ミゼラブル」とは、ヴィクトル=ユーゴーの小説だが、時代背景には、フランス革命、ナポレオン=ボナパルトの栄枯盛衰がある。ロシア遠征は、ナポレオンが没落するきっかけとなったが、せいぜい210年前の話である。当時の欧州は、国境線が定まらない程、戦争に明け暮れていた。島国日本で国境を意識する機会は、ほぼないが、ユーレイル鉄道に乗れば、パスポートの検閲もなく、様々な国を行き来できる。そんな時代の主人公ジャン=ヴァルジャンは、パン1斤を盗んだ罪で19年間投獄される。ナポレオンもセントヘレナ島に幽閉されるが、皇帝に無名の主人公の運命が、重ね合わせられる。この当時の文学は秀逸で、トルストイの「戦争と平和」は、ロシア貴族の没落を描いている。市民革命によって王政はじめ、様々な束縛から解放された作家が、大きく揺れ動く時代の下、思う存分に才能を開花させた。それから2世紀以上も経って、世界は、未だ同じ過ちを繰り返している。戦争や地震で亡くなった方々は、「レ・ミゼラブル」と叫ぶ暇もなかっただろう。そのように考えれば、「レ・ミゼラブル」と叫ぶことは、運よく生き残ることを許された者に与えられた特権のようにも思える。人生とは、こういった理不尽な仕打ちに耐えながら生きて行くことだと教えている。これらの古典的名作と、現代のスマホショートムービーTikTokを比較することはナンセンスかもしれないが、200年後、TikTokを始めとする軽薄短小文化は、どのように評価されるのだろうか?他愛なくダンスする若者たちの姿や、無邪気に語る内容が200年後の人々に、共感を与えたりするのだろうか?個々では、軽薄過ぎるが、キーワードで検索して、体系化すれば、若者の、喜怒哀楽、恋愛観が、未来の若者にも受けるかもしれない。
いつの時代にも、人々は戦争と災害、疫病に苦しめられて来た。黒海沿岸で起きた戦争と地震は、人間の愚かさと、自然の凄まじいパワーを対比して見るきっかけになった。地球の僅かな地殻変動が、華奢な住居を倒壊し、人々が建物の下敷きになった。科学技術の進歩は、人の命、健康という本質的なことよりも、コストの制約を受ける。しかも、便利さ、豊かさ、楽しさ、といった枝葉末節に向かいがちだ。東日本大震災の記憶が未だに脳裏に焼き付いているが、だからと言って、山の上に引っ越した人は多くない。徳島のような田舎でも、日ごろの足はマイカーだから、山の上に家があってもよさそうなものだが、そんな変わり者は少ない。買い物、仕事といった日常生活は、平地の方が何かと便利で効率的だ。地震が来たら、高台に避難すればいいと高をくくっている。行政的にも、強固な防波堤を海岸沿いに設置するよりも、電気、ガス、水道、道路といった普段の生活に必要なインフラ整備に予算を多くつぎ込む。わかっていながら、50年~100年に1回しかない惨事に備える難しさがある。
SDGsという、分かったような訳の分からない流行言葉がある。生命、健康の持続的発展と捉えるならば、UV-LEDには、果たすべき大きな使命が残されている。
番組名SDGsの履歴書撮影の様子
令和5年3月10日
レ・ミゼラブル